「『環境主義』は本当に正しいか? チェコ大統領が温暖化論争に警告する」

「『環境主義』は本当に正しいか? チェコ大統領が温暖化論争に警告する」_a0004752_21551818.jpg「『環境主義』は本当に正しいか? チェコ大統領が温暖化論争に警告する」という本を紹介された。finalvent氏の極東ブログでもすでに紹介されているが、そこでは、「ビョルン・ロンボルグ氏の『環境危機をあおってはいけない』以上の知見は含まれていない」と切り捨てられている(^^;

ロンボルグ氏はデータをベースに話を展開しているが、こちらはそうではない。どちらかといえば、イデオロギーの世界である。

例えば、
「環境主義者の自然に対する態度は、マルクス主義者の経済に対する態度とそっくりだ。なぜならどちらの目的も、自由で自発的に進化していく世界(そして人間)を否定しているからである。いわゆる中央集権的に、または今流行の言葉を使えばグローバルで、世界を最適な状態に創る計画に取り替えようとしているのである。共産主義の場合と同様にこのような方法はユートピア的(非現実的)であり、目的とはまったく異なる悲劇的な結果となってしまうのがオチだ。無理やり実現しようとすれば、人々の自由は制限され、少数のエリートが圧倒的多数の人間に命令を下すという状況が必ず生まれてしまう。
といった記述。環境思想を調べていくと分かることなのだが、なかなかこのような視点で見ているものは少ないのではないだろうか。

ちなみに、この状況は、なんだか民主党と環境省がいまやろうとしている状況に似ている...
過去150年間、社会主義者は、人間を大切にしろ、社会的平等を守れ、社会福祉を充実させろといった、人道的で思いやりあふれるスローガンを実に効果的に唱えていたが、結局、人間の自由を破壊してしまった。環境主義者も同じように崇高なスローガンのもとに、人間より自然に対する不安を表明しながら、社会主義者と同じことをやっているのである。
資本主義、自由主義とはまったく反対のことをやっているのだが、そんなことすら分かっていない無責任な環境派もいれば、それを逆に利用してやろうという商魂たくましい輩もいるのも事実。飯田哲也氏などは、後者に属するように感じられるが、気のせいだろうか。

これに関連して出てくる考え方が、「予防原則」であり、危機感を煽るキーワードになっている。ちょうど植田和弘氏も日経BPのサイト『地球温暖化防止の環境経済学』で「温暖化防止への予防原則の適用 成熟した社会が生み出す新リスク・コミュニケーション」というコラムを書いているが、ここでも「予防原則」という考え方が出ていて、これは、環境主義を唱える人たちのマントラになっている。健全な人間であれば、ここで思考停止してはいけない。

一方で、著者は、人間、経済成長、そして技術に対して希望を持っているように感じられる。
資源を生み出す根本にあるのは、本来人間の知識の無限の成長なのである。・・・決定的に重要なのは技術の進歩の問題である。・・・結論ははっきりしている。富と技術は環境の問題を引き起こすのではなく、解決してくれるということだ。
ただ、著者の指摘によると、恐ろしいことも起こっているようでもある。
研究で現存するデータから温暖仮説と異なる予測や説明を導き出した科学者は、必ず脅されることになる。「邪悪な」石油会社に協力していると非難されたり、補助金が使えなくなったり、昇進できなくなってしまうのだ。・・共産主義の時代にもこのように個人的に脅しをかけられていた人々がいた。
2010年2月21日中日新聞朝刊3面に報道されたところによると、日本でも、温暖化の真偽に関する議論が出始めているようでもある。(参照したサイトはこちら
地球温暖化は「二酸化炭素(CO2が主因ではない」とする論文が東京大の出版物で否定され、著者が名誉毀損で慰謝料など百五十万円の損害賠償を東大などに求めた訴訟の第一回口頭弁論が二十三日、東京地裁で開かれる。・・・

訴えたのは「CO2温暖化説は間違っている」の著者で、元名城大教授(環境経済学)の槌田敦氏(七六)。

訴えによると、槌田氏は「大気中の水蒸気の増大や大気汚染物質によるもので、CO2は(温暖化の)主因ではない」とする論文を発表。東大は「地球温暖化懐疑論批判」と題する出版物で、槌田氏の主張を「既存の知見や観測データを誤解あるいは曲解している」などと批判した。槌田氏以外の懐疑派の研究者約二十人に対しても「科学の蓄積を無視し、独善的な結論に読者を導いいており、看破することはできない」と言及した。

槌田氏は「私は地球温暖化は進んでいると認めている。しかし原因はCO2が一番じゃない。別の論を唱える科学者に何の事前連絡もなく、一方的に批判本を東大が出すのは異論者の社会的評価をおとしめる政治的なものだ」と訴えている。・・・
学問とは、昔になされた成果を健全な批判精神で見てこそ発展していくものだ。それを阻害するのはいくら東大でもダメだろう。もちろん、こういった事実を報道しないマスコミやテレビなどは腑抜けかつ大衆迎合主義の最たるものかもしれないが、そんななか中日新聞はちゃんと報道したのはなかなかヨイかも。

日本でも、これからきちんとした論争がなされるのだろうか。あるいは、メディアが理解せず、なんの議論も起こらないか。この国でも、きちんとした議論がきちんとした方法でなされることを期待したい。
Commented by eco-kirai at 2010-03-06 13:24 x
「地球温暖化懐疑論批判」、この本は、東京大学サスティナビリティ連携研究機構(IR3S)のホームページで閲覧できるので、ざっと眼をとおしてみました。従来の繰り返しで、懐疑論に対する反論にはあまりなっていない、しかもIPCCの報告にも相当ボロが出てきましたね。執筆者たちは「懐疑派バスターズ」などというグループのメンバーのようですが、このネーミング自体、幼稚かつ愚劣で、まともな学者の言動とは思えない。(笑)
ともあれ、「温暖化派」にしろ、「懐疑派」にしろ、虚心坦懐にそして純粋科学的に議論を深めてほしいものです。環境負荷を抑える実効性高いエネルギー政策こそ重要なのですから。
by yoshinoriueda | 2010-03-02 22:39 | エネルギー・環境 | Trackback | Comments(1)

清涼剤はSilicon Valleyの抜けるような青い空。そして・・・


by yoshinoriueda
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