シリコンバレーと比べて日本がワクワクしない理由
2011年 05月 09日
いろいろあるけれど、最近の様子に限定して考えるならば、人々が言っていることそれ自体があまりにも空虚であるということ。
原子力は止めるべきだどれもみんな空虚だ。
風力や太陽光をやればいい
スマートグリッドが大切だ
なんだかんだ...
シリコンバレーだとどうなるか。
こんな試作品ができたけれど、どうやってマーケットに出していこうか空論だけでなく、実際にモノやサービスのプロトタイプが作りだされたり、それを動かすためにどうしたらいいかということを一生懸命考える。それで、それらが広まれば、世界は変わるんだということを示そうとする。だからワクワクする。日本とシリコンバレーの差はそこにあるような気がする。
こんなアイデアがあるんだけれど、それを実現させるためには、こういうチームをつくって、これくらいの規模で開発を進めて、いついつまでにはこんな風なところまで到達したい
口先だけで美辞麗句を並べ立て、耳障りのいい言葉であまり考えていない人たちを翻弄して、言うことをきかせてしまう。そういう人が「人物」であり、評価されるという社会。アメリカだってそういうところはあるけれど、シリコンバレーはちょっと違う。そんなことだけで生き残れるほど甘くはない。すぐに化けの皮がはがれて、信用されなくなる。
言葉は人を変える。しかし、それは心が一時的に変わるだけ。それだけでは生活、特に生活の質は変わらない。奥にある本当の価値はなんなのか、それを突き詰めて考えれば考えるほど、そんな言葉遊びにうんざりし、軽蔑さえ覚える。あるいは、逆に言葉遊びにつきあって、反対の事実を突きつけたくなる。
日本をワクワクさせるには、きれいな言葉で弄ぶのではなく、実際に何かを作り上げ、何かを変えていかなければならないのではないか。そんな思いにとらわれてしまうこと自体が、「シリコンバレー教(「狂」?! or 「症」?!)」なのかもしれないのだけれど...(汗)
もっと具体的にどうなのよ、みたいな話とか、ほんでチャリンとお金の音がするんですか?、みたいな話とか、ワクワクするような話がもっとあってもいいような気がするのですが...