「当社の常識」は判断基準になりえるのか?!
2004年 11月 02日
「当社の常識では大変な厚遇といえる。決して不遇な技術者だったわけではない。」
特許の価値や、技術に対する見解を述べるつもりはないが、本気でこんなふうに思っている人がいるとしたら、絶望感を感じる。どう評価するかはそのときの状況などによって左右されるのは分かるが、「当社の常識では」という判断基準が横行している企業に未来は無い。東芝に未来が無いのかどうかは別にして、このような判断基準で物事が決まっていくと、常識がお客さまに受け入れてもらえなければ、その企業は、存在理由を失うだろう。
そもそも、常識というのが存在するのかということさえ、自分にとっては疑問に思える。ましてや、「当社の常識」など判断基準に値しない。'Tousya no Joshiki'? So what?そう叫んでしまいそうである。
シリコンバレーでビジネスプランを見ていると、他人と同じことをしようとしている起業家が、実はたくさんいる。人が考えることはよく似たことだから仕方ないが、もしそれで、「これが我が社の常識です」などといおうものなら、そんな輩にはお金が集まらない。当然である。だれが、そんな傲慢で高慢な輩に自分のお金を託すのだろう。かといって、あなたの常識が必要とされているのではないのですよ、と諭す気にもならないが...。
東芝だけではないと思う。おーい、日本企業!大丈夫か~~~
いい加減、目をしっかり開けて、周りをみたらどうだ?
ただ、実務を通じて得られるノウハウなどは、本や雑誌、情報といったもののように使いまわしできる知的財産とは異なり、個人に帰属してしまうので、印税方式の採用は難しいかもしれませんね。
やってる人たちも、何らかの形で利益が目に見えたほうが、早く修正できるような気がします。まちがったことを続けても利益は出ないのですから、はやく何が求められているかを理解して、次のステップにもっていくことは、特に大切なことだと思います。