「リスクの社会化」という考え方@「はしごを外せ」(ハジュン・チャン、日本評論社)

先進国が先進国になったのは、「良い政策」と「良い制度」があったからではなく、力をつけるまでは自国の産業を保護してきたことが要因であったにもかかわらず、途上国には、経済を開放しろと要求している。それはまるで、自分達が、はしごの上まで上った後に、そのはしごを蹴落として外してしまうようだ。

「リスクの社会化」という考え方@「はしごを外せ」(ハジュン・チャン、日本評論社)_a0004752_21222663.jpgこんな主張が書かれた「はしごを外せー蹴落とされる発展途上国」(ハジュン・チャン著、横川信治 監訳、日本評論社)を読んだ。

良い政策とは、いわゆるワシントン・コンセンサスで規定されているもので、抑制的なマクロ経済政策、国際貿易と国際投資の自由化、民営化と規制緩和が含まれているのだとか。また、良い制度とは、民主主義、「良い」官僚制度、司法制度の独立、知的所有権を含む私的所有権の強固な保護、透明で市場中心の企業統治、政治から独立した中央銀行を含む金融機関などをいうのだとか。

どれも、今の日本では、中途半端ではあるけれど、導入されているといえるかもしれない。しかし、本書によると、日本は1858年に強いられた欧米との不平等条約により、5%以上の関税を禁じられていたため、発展初期には貿易保護を利用できなかったのだとか。関税自主権が回復したのは1911年。

この日本の経験は、今の途上国の発展に役立つのではないだろうか。そんな思いに駆られる。

日本のとった道は、国有企業による集中的な産業育成。そして、外国人を雇い、技術を吸収するという能力育成(capacity building)。つぎはぎだらけの法制度、軍、金融、学校など。例えば、刑法はフランス、商法と民法はドイツ、イギリスの要素も少々。陸軍はドイツと多少のフランス、海軍はイギリス。中央銀行はベルギー、銀行制度はアメリカ。大学はアメリカ、その他の学校は、最初はアメリカで、すぐにフランスとドイツ。ま、いいとこどりってわけか。

考えてみれば、日本人は、本当にどん欲にいろいろと取り入れたんだなぁ〜もちろん、あまりにもどん欲に取り入れ過ぎて、列強に対峙するようになり、結果的に悲惨な戦争に突入してしまったのかもしれないが、それにしても、本当にごちゃまぜでもなんとか前に進めてきたんだなぁ、と実感。

ちなみに、この本自体もおもしろいのだが、訳者による解説もまたなかなか面白かった。例えば、次のような一節がある。
産業政策の目的は、産業構造の高度化である。ところがこの高度化のための投資には過大なリスクが伴うので、市場に任せておくと不十分になる。産業政策(及び制度)は、リスクの社会化を実現することによって、産業構造高度化のための投資を促進する。...

合理的個人による「リスクの社会化」によって制度と政策が形成されるのではなく、長期的・歴史的に多様な制度と政策が形成され「リスクの社会化」が可能になる。
「リスクの社会化」という考え方は、今の日本の現状にも当てはめることができる考え方ではないだろうか。

エネルギーを海外に依存する日本においては、原子力というエネルギーに一部頼らざるを得ないところがある。これを使って繁栄を手にしてきたのは、紛れもない事実である。ただ、原子力には、今回の福島第一のようなリスクがある。これを「社会化」することが必要であり、今は、それをどうやって分担したらいいのか、ということを考えるいい機会になっていると思う。

開発経済学や発展途上国への技術移転といった文脈だけでなく、日本という国のあり方を考える上でも役に立つ本だと感じた。
by yoshinoriueda | 2011-05-30 23:20 | エネルギー・環境 | Trackback | Comments(0)

清涼剤はSilicon Valleyの抜けるような青い空。そして・・・


by yoshinoriueda
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31