「原子力発電の問題は倫理性」だということをどれだけの政策担当者が「身」をもって理解しているか?

金融日記藤沢数希「『反原発』の不都合な真実」では、原子力発電の問題点が「倫理性」だと指摘されている。
a0004752_21465881.jpg実は、原発の問題は、経済性でも安全性でもありません。原発の問題点は倫理性なのです。化石燃料による大気汚染や地球温暖化問題のような問題は、世界中の人たちで追わなければいけませんが、原子力のシビア・アクシデントのリスクは地元住民がほぼ全てを負うのです。その電気は都会で使っているにもかかわらず、です。だから大都市に住む人々は、原発立地県の地元自治体の人々に感謝の気持ちを忘れてはいけません。電気に限らず、都市に必要な水や食料なども、ほとんど全てが地方からやってきているのです。核燃料税などにより、そのリスクを引き受けた地元住民に経済的な見返りがあるのは当然なのです。そういった電力会社が納める税金は、電気代に転嫁されます。安価な広い土地がない都市の住民は、電気代を通して原発立地県にお金を払い、そして電気を作ってもらうことにより便利な生活を享受しています。これはWin-Winの関係で、他の経済活動と何ら変わりのないふつうのことです。
都会、特に東京で暮らす人たちには、そんな感覚はないのかもしれない。電気はあって当然だと思っているのかもしれない。関西地域がこの冬も節電で大変な思いをしているのに、東京はどこに行っても、エスカレーターもエレベーターも動いているし、暖房もガンガン焚いていてあったかい。マフラーと手袋とコートを羽織りながら仕事をしている関西とは大違いだ。(さすがに今日は関西も暖かかったが^^;)

東京の人たちにはきっと危機感など全くない。こんな状態で原子力発電所の再稼働がなぜ必要なのか理解できないのではないだろうか。まあ、それは関西に住む人たちも同じかもしれない。いつ大停電が起こるか分からないという状態になるかもしれないというのに、それがおこるまでは、何も感じない。

養老孟子氏は、「脳に映る現代」という本で次のようなことを述べている。
身体に関する、この国の体制思想とはなにか。それはおそらく、「無身体」であろう。なぜなら、身体を突き詰めると、いつの間にか、精神になってしまうからである。
政策を議論する人たちは、「身」をもって理解するということがない人たちばかりになってしまっているように思える。だから、競争原理を導入すれば価格は下がるんだとか、そういった机上の空論を繰り返すことになるんだろう。

ちなみに、電力の自由化については長い目で見て進める方向を示しつつも、次のように記されている。
電力自由化もスマートグリッドも実はそれほど簡単なことではありません。電力会社というのは経済学の教科書には、マーケット・メカニズムだけではうまくいかない例として必ず出てきます。送電網や巨大な発電設備に規模の経済が働くので、最初に設備を作った電力会社がひとり勝ちしてしまい市場を独占してしまうからです。よって、何らかの方法で電力価格を政府が規制する必要があります。日本は地域独占を認めて、政府が電気代を規制するという方式でやっています。

 通信の自由化や、放送の自由化、農業の自由化などは、自由化すれば国民全体は得するという論理が成立します。通信の自由化はそれなりに進み、電話代もインターネットを利用するためのプロバイダー料金もずいぶんと安くなりました。ところが電力の自由化というのは、イメージとしては、通信の自由化というよりも、たとえば水道の自由化、という方にはるかに近いのです。自由化したからといって劇的な効果が期待できるわけではありません。電力を自由化しても必ずしも電気代が安くなるとは限らないし、電気の質(電圧や周波数のズレや停電率)は少なくとも短期的には劣化する可能性が高いのです。僕はそれでも長期的には自由化した方が電気代は安くなる余地があると考えていますし、電力会社のガバナンスの観点からも自由化は着実に進めていくべき課題だと思いますが、効率的な制度設計はそれほど簡単ではありません。...

 現在の送電網は、1社独占で、その1社が全てをコントロールするという前提で作られています。しかしこれを複数の発電会社が競争的に利用するならば、その設計思想を根本的に変えなければなりません。ITのアナロジーでエネルギー技術を考えるとだいたい的外れの議論になりますが、この場合は、ソフトウェアのアナロジーが役に立ちます。スタンドアローンのワンユーザーを前提にしたプログラムを、複数のユーザーが同時にランダムにアクセスできるようなプログラムに直さないといけないのです。効率だけ考えたら、前者が圧倒的に効率がよく信頼性が高いはずです。それは独裁国家の方が、民主主義の国よりもある意味では効率がいいのと同じです。...

信号だけを処理すればいいコンピューターと、巨大なエネルギーそのものを直接扱うパワーエレクトロニクスは、全く以て非なるものなのです。そこのところを誤解すると、非現実的な議論になってしまいます。
とまあ、政策担当者がこの藤沢数希氏の本を読んだところで、結局、身体性のない議論がなされてしまうのかもしれないが^^;;

  by yoshinoriueda | 2012-02-24 21:54 | 思うに・・・ | Trackback | Comments(0)

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