「Gゼロ」後の世界 主導国なき時代の勝者はだれか(イアン・ブレマー)

「Gゼロ」後の世界 主導国なき時代の勝者はだれか(イアン・ブレマー)_a0004752_22272377.jpg「『Gゼロ』後の世界 主導国なき時代の勝者はだれか」(イアン・ブレマー)読了。序章の最後において、
世界は、移行と驚異的な大変動の時代へ突入した。変化の激しい今、この瞬間に、国家や諸機関のリーダーたちは、Gゼロ時代において、単なる大きな力とか財力以上のものを要求される。必要なのは、機敏さ、適応能力、そして危機管理-それも、まったく予想しない方向からやってくる危機に備える-のスキルになるだろう。
とあったが、最後の部分が身にしみる日々。

「新興国をあてにしてはいけない」という。それは、
新興国の政府は、国内で経済発展を次の段階へ進める努力を行いつつ、同時に国民の支持を維持しなければならないという、並々ならぬ課題に直面しているからだ。
という。そして、コペンハーゲンでのCOP15の際の出来事を挙げていた。

しかし、全体として面白みがない。なぜだろうか。Gゼロの世界が混沌としているからだろうか。著者は、
Gゼロという力の真空状態を何か別のもので埋めるのに必要なコストと犠牲とリスクを最終的には受け入れざるを得ないと考えるようになるだろう
という。やはり「コスト」や「犠牲」が出るということなのだろう。

混沌としたこの世界において、「覚悟」はあるか。そう説いているように聞こえる。

第5章の最初に引用されていたウィンストン・チャーチルの言葉のほうが印象的だった。
地獄を経験しているなら、そのまま進め。




 
参考:日経書評
 本書は、リーダーシップをとる国が存在しなくなった現在、危機が発生した場合に誰も対処できないと、どんな混乱がもたらされるか、そしてこうした世界における勝者と敗者を決める要因は何かを分析する。頻繁に発生する世界の大きな出来事と、私たちの生活への影響を考えるとき、論考の土台、案内役として大いに役立つ。

 第2次大戦後の世界の運営は、最初は米国がリーダー役となり、その後、主要国が協議に参加するG7、G20とバトンをつないできた。著者によれば、現在では、個々の国にリーダー役を担う余裕はなく、先進国と新興国からなるG20も「政治的、経済的価値観が共有されていない」ために限界があり、リーダー役不在の「Gゼロ」状況となっている。「Gゼロ」の世界では、集団防衛システムは構築し難い。食料や水、環境、サイバー空間、国際標準の設定などを巡る紛争が予想され、国際的な力の均衡は、軍事力ではなく経済力で測られ、保護主義の動きが高まると指摘する。

 そして、勝者は、適応力がありリスクや攻撃に対する防御が備わっている主体、敗者は、新しい現実と変化の必要性に対する認識を拒む主体であると考える。「Gゼロ」下での世界の運営を、(1)米国と中国の関係が協調的か対立的か(2)米中以外の国々の力が強いか弱いか、という2つの軸で分類している。最も確率が高いケースは米中が対立的、米中以外の国々は地域限定的ではあるが強いという、地域分裂的な世界。米国は、リーダーとしての限界を受け入れざるを得なくなり、世界に対する貢献は再構築を迫られるとする。

 人々の行動、政府の政策そして企業戦略は、「場」の変容とともに変化する。本書は、この「場」をグローバルにとらえ、世界の舞台が歴史的な変化を見せるにつれ各国の政策展開もそれに合わせて変革を遂げる必要があることを力説する。近年の経済分析において、国を「ユニット(単位)」とする伝統的な理論モデルへの執着が誤った診断を与え、世界金融危機を招来する一因となったことを想起すると、本書の分析は一段と価値を増すだろう。

(学習院大学名誉教授 奥村洋彦)

[日本経済新聞朝刊2012年8月5日付]

by yoshinoriueda | 2012-09-03 22:43 | 思うに・・・ | Trackback | Comments(0)

清涼剤はSilicon Valleyの抜けるような青い空。そして・・・


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