日本のポップカルチャーの独自性が持つ力
2005年 03月 26日
このJamieちゃん、Googleの検索で第一位に輝く(?!)「Britney Spears」の妹ということもあるせいか、なかなかカワイイ。
土曜日のSan Jose Mercuryには、「少年ナイフ」の記事。Japanese Rock Bandというと、もう少しメジャーなのはPuffyかもしれない。
「Hi Hi Puffy AmiYumi (ハイ!ハイ!パフィー・アミユミ)」というアニメ番組は、子供たちの間で大人気だとか。"Teen Titans"というアニメ番組のテーマソングも歌っている。
鈴木ミャオさんの「色を制するものは○○を制す」によれば、
「薄い肌色は人の注意を引かないから、なるべく黄色にしてしまおう、背景は黄色が映えるピンクにしようというマーケティング戦略である。」ということで、こんな派手なCDジャケットになっている様子。アニメのトーンもこんな感じなので、子供たちの目を惹くことも容易になっているといえるのかもしれない。
日本のモノや人がアメリカなど世界で受け入れられてきた背景には、圧倒的な「パフォーマンス」のよさが鍵だった。ソニーのウォークマンにしろ、ホンダやトヨタの車にしろ、モノの持つパフォーマンスのよさが、他を凌駕している。人についてもおなじだろう。ノーベル賞を受賞した利根川進氏や、青色ダイオードの開発に対する貢献者である中村修二氏、そして、野球選手のイチロー、アメリカではないけれど、サッカーの中田英寿氏など、人が出す成果が抜群であるために受け入れられているということがいえるだろう。
その一方で、日本のポップカルチャーは、その独自性が鍵なのかもしれない。ポップカルチャーの特徴をパフォーマンスで計るのは難しい。複雑でありながら、巧妙かつ飽きさせないストーリー展開や背景の設定、無宗教的でありながら哲学的でもあるという要素の存在、日本のありのままを示せるキャラクター性、など、それぞれ個別の事情があるようにみえるが、共通の要素は独自性だと思える。独自性とはなにか。辰巳渚氏が、以下のように日本的な特質を述べている。
「あいまい、無意味、感性、精神性。そんな日本的な特質が、「生産の世紀」のあとに価値を取り戻す。」パフィーには、素朴さというか素直さというか自然体というか、そんな魅力があるのかもしれない。がんばらないでいい、そのままでいい。それでも受け入れてもらえる。捨てる神あれば、拾う神あり。ちょっと違うか... まあいずれにせよ、もし、自分をありのままに受け入れてくれる人がいるならば、それはそれで幸せだということだろう。無理して自分を良く見せる必要も無いし、背伸びしなくてもいいのだから、癒されなくてもいい。いつも癒された状態になって、逆に他人を癒していくかもしれない。
たまたま読みたいと思っていた「模倣される日本」について、橋本大也氏が
「日本は良くも悪くも「異質」だと内外から言われてきた。その異質さにチャンスがあるのかもしれないとこの本を読んで感じた。」と書いているが、これと同じような感覚を、偶然、今朝の新聞記事から感じたような気がする。