強く願う心は未来を作り出すのか?
2005年 04月 19日
自分の思うようにならないことはたくさんあるが、それは、本気で心の底からそれを願っていないからかもしれない。本気で信じていないからかもしれない。どこかで諦めがあるのかもしれない。
たった一人では何もできないのだろうか?そうかもしれない。しかし、誰かが独りでもやり始めなければなにも変わらないのかもしれない。
世界は平和であってほしい。中国では反日感情が高まっている。北京に住む友人の携帯電話のもとには、反日感情に溢れたメールが毎日のように届くという。
「私はそうは思わない!」
そう叫んでも、誰も聞いてくれないのかもしれない。しかし、それを叫ばなければ、なにも始まらないのかもしれない。
まずは、決めること。そして、周りの意見を聞きながら、決めたことをやり通すこと。どこまで行けばやり通したといえるのだろう?日本はいつまで謝罪すればいいのだろう。過去の過ちは、償えないものなのだろうか?一度ボタンを掛け違えたら、もう、元には戻れないのだろうか?
「たったひとつのことしか教えることができないとするならば、toleranceを教える。」
昨年の秋、そんな話を聞いた。toleranceを教えるということはどういうことなのか、なにをどうやって、いつ誰が誰に教えればいいのか、今の自分にはよく分からない。しかし、大切だということは身に沁みて理解できるようになった。着実に積み重ねた時がそれを分からせてくれたのかもしれない。
もう遅いのだろうか?まだ行けるのだろうか?それは、強く願う心次第なのかもしれない。
♪ 「I Wanna Go To A Place」(Rie fu)
まずは自分の周りから、でよいのでは。誤解に耐え間違いを納得してもらえるまであきらめず諭す(自分の周りだけでも)、という対応もあると思います。
私も、少しずつでもやっていくしかないのだと思います。
ただ、このエントリーに書いたことは、日中関係にとどまらず、さまざまなところ(会社で、地域社会で、親や兄弟、恋人同士、などなど...)で言えることではないかとも感じています。
自分はアメリカの大学のUndergradでマーケティングを専攻しているんですが、上田さんのブログはいつも非常に勉強になります。
あまりにも面白いので、勝手にリンクを貼ってしまったくらいです。すみません(汗
ところで、今日の「たったひとつのことしか教えることができないとするならば、Toleranceを教える」という言葉、非常に感銘を受けました。「どのように教えるのか?」というのは非常に難しいですが、本当に深い言葉だと思います。あまりにもいい言葉だったので感動してコメントを残させて頂きました。これからも勉強させて頂きたいと思います。ブログの更新、がんばって下さい。
先日観たお芝居のテーマが、まさに「toleranceを教える」でした。観劇後、演出家ピーター・ブルックの言葉を生で聴く機会があり、このお芝居が、イラク戦争真っ只中の世界に対する彼なりの問題提起なのだと知って、感銘を一層深めました。
ところで、先日、Netflixについての記事をTBさせて頂きました。だいぶ前の記事ですが。コメントも残さず、ごめんなさい。
TBの件、こちらこそ、そちらの記事にコメントしたつもりが残っていませんでしたね。スイマセン。改めてコメント書き込んでおきました。
今後ともよろしくお願いいたします。
私は今、北京の西地区に住んでいます。私の携帯電話には、反日感情に溢れたメールが届いたことはありませんが、あったら暗い気持ちになるでしょう。反日デモの起こった週は、気持ちが左に右に揺れて、落ち着きませんでした。疑いの目で見ると、十面埋伏のように思えてしまいます。
状況が良くなることを期待しつつ、性善説を信じてのりきりたいです。
私は中国・大連におります。
中国での反日は、腹立たしく、悲しい限りです。
だた、ここに生活しているものとして、
中国はそれだけの国ではない、
反日感情だけの渦巻く国ではない、ということを、
いい続けたい、と思います。
しかし、それが事実であるならば、それは悲しいことです。嘆いているだけでなく、自分たちでできることをしなければならないのかもしれませんね。