「あいまいな喪失」を心に留めつつ

国土の喪失の否認について」というコラムに次のような一節がある。
原発事故後に、心理臨床家のあいだでは「あいまいな喪失」という言葉が語られる機会が増えた。放射線の影響は、直接には目に見えない。家は実際にあるのに、そこに戻れるか戻れないかが不明な状況が続く。延々とはっきりしないままに待たされる。気持ちを切り替えて、さまざまな感情を明確に経験して、喪失にまつわるこころの動きが生じないままに、時間が過ぎ去り、静かに事態が進行していくことをなす術もなく見つめることを待たされる。これも一つ、苦しい被災地のこころの現実である。
原子力の話をしていると、目先の再稼働や、廃炉の制度措置など、現実的な課題への対応に追われてしまうが、福島は元に戻っていないということを忘れてはならないといつも思う。

ただ、現実的な課題への対応も「待ったなし」の状況にもある。そこに対処していくこともやらなければならないと思う。

福島は、昔親戚が住んでいたところでもあり、小学生の頃に訪れて、とてもいいところだという印象・記憶だけが残っている。桃の表面がザラザラしていて、皮をむいてかぶりつくと、とてもジューシーで甘く柔らかく、あの感覚は忘れられない。

津波により冷却機能が喪失して、福島第一原子力発電所から放射能が周辺に放出されてしまう事態に至ったことで、日本の国土の一部である福島の土地が、ある意味、「失われて」しまったということは残念でならない。

福島が元に戻る、あるいは完全にとはいわずとも、元のようになるには、相当の時間がかかるだろう。

今を生きている我々は、それまで立ち止まり続けることはできない。

これからの時間をどう過ごしていくかを考えながら、できること、やらなければならないことを少しずつ積み重ねていきたい。

 
by yoshinoriueda | 2015-05-19 06:31 | エネルギー・環境 | Trackback | Comments(0)

清涼剤はSilicon Valleyの抜けるような青い空。そして・・・


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