イノベーションにつながるような"怒り"を感じているか?!
2017年 11月 25日
“Fury, …is the only serious source of innovation.”
怒りがイノベーションの唯一の真の源である。
2017/11/1の日経の記事は、ウーバーやエアビーを挙げつつ、
暮らしやビジネスの現場にあふれる怒りや不満を、革新的な製品やサービスに昇華させる好循環をどう築くか。問われているのは日本の常識そのものかもしれない。と締め括られていた。
自分の中に「イノベーションにつながる"怒り"」があるだろうか。
自省してみると、実は、そこまで強いものはないのではないか。
なぜだろう。
最近は、意見をとりまとめていく立場に立つことが多いからだろうか。意見をとりまとめていくときに、現実的な解を探すと、他人の怒りを自分の怒りにすることは難しく、そのような感情に折り合いをつけることのほうが多いような気がする。
あるいは、どっぷりと業務関係の付き合いに入り込んでしまっていて、会話している内容の範囲が狭いからだろうか。新しい仕組みを現実のものに落とし込んでいくときには、深く深く考えるものの、通れるところを通っていくので、どうしても範囲が狭くなる。狭くなければ通れないことがあり、現実のものに落とし込めないというところがあるというのも事実。しかし、それは単なる言い訳なのだろうか。
あるいは、年齢のせいだろうか。年を重ね、昔と同じようにカラダが動くわけでもなく、どこか諦めなければならないということに気づき始めたからだろうか。ゲームアプリhinadan(ひなだん)を開発したマーちゃん、こと、若宮正子さんがロールモデルとして存在しているように、何歳からでも始められる、「年齢は関係ない」ということなのかもしれないが、実は、知らず知らずのうちに、心も「老化」しているのではないだろうか。
それとも、「本気」が足りないのだろうか。もっと「本気」でぶつかっていくことを続けないとダメってことなのだろうか。自分なりに限界までやっているつもりだが、どこかで「引いている」ところがあるのだろうか。
先日、突然もたらされた訃報。志半ばで先に進めなくなってしまった仲間。彼は何を成し遂げようとしていたのか。残された自分は、精一杯生きているか。悔いの無い日々を送っているか。
もうすぐ今年も終わる。新たな出会い、これまでのご縁。それをつないでいくことで、自分の糧にしていこう。
何を選び、何を捨てるのか。今年を振り返りつつ、これからのことを考える週末となりそうだ。