電子メールのない文化

電子メールでのやりとりが日常的になっていると、つい、電子メールのない文化のことを忘れてしまう。業界によっては、電子メール自体が「敵」として認識されていることがあるらしい。
「じゃあ、以後は電子メールでやりとりしましょう。」
「いや、実は、電子メールはないんです。うちは紙の文化ですから。」
「・・・なるほど。分かりました。では、また伺います。」
そんな会話が交わされるのは、例えば、紙をつくっているような会社があるかもしれない。「電子メールを使う」=「手紙や葉書を使わない」=「紙を使わない」という方程式が成り立つと思っていると、自分たちの製品である「紙」が使われないので、電子メールは「敵」になってしまう。

また、もしかしたら、電子メール以前のメール、すなわち手紙や葉書を扱う郵便局にとっても、「電子メール」というのは敵なのかもしれない。ただ、最近は、「ゆうびんホームページ」などを通じて、使い勝手のいいサービスが利用できるようになってきていると思うが...

確かに、電子メールを使うと、紙の消費量は少なくなるかもしれないが、仕事などでは、記録として保管するために、電子メールを印刷することもあり、また、添付されている資料も同時に印刷することから、紙の消費量は一概に少なくなるとは言えないような気がする。

逆に、資料を作り出すと、印刷してみて仕上がりを確認し、何度も修正するので、紙の消費量は増えているような気もする。時折感じるのは、もし、資料を印刷しなくなれば、仕事時間はもっと少なくなるかもしれないということ。資料を印刷すると、それが「一人歩き」することを考えるのか、あるいは、紙に書かれているから視認性がよく、抜けているようなところがよく見えるのか、いろいろな人が様々な修正を要求するようになることがあるからだ。挙句の果てには、「てにをは」やレイアウトまで注文が出てくることもあり、そこで「そもそもその作業にはどんな付加価値があるのか?」と自問しだすと、「やってられましぇ~ん」とでも言いたくなるようなこともある。

閑話休題。

時間軸で見れば、30代や40代の人にとっては、新聞や雑誌、書籍といった紙文化に親しんできて、その後で電子メールやインターネットの洗礼を受けてきているため、ハイブリッド的な部分があるのかもしれないが、10代~20代の世代の中には、幼い頃からケータイやゲームに慣れ親しんでいる人もいて、そんな人たちからみれば、ケータイや電子メールのない世界は想像できないというところまできているのかもしれない。

空間軸で見れば、ビジネスや日常生活で電子メールの必要性があまりない国もあるだろう。中には、電気や通信のインフラが十分整備されていなかったり、ハードウエアが用意できないといったことも関係してくるので、仕方がないといえば仕方がないかもしれない。

ただ、思うに、紙を使わない電子メールは、便利で低コストなだけでなく、地球環境に対しても優しいのではないだろうか?だから、そう毛嫌いせずに、電子メールやインターネットを取り入れてもいいと思うのだが...
by yoshinoriueda | 2006-08-20 06:49 | 対話の中から発見する! | Trackback | Comments(0)

清涼剤はSilicon Valleyの抜けるような青い空。そして・・・


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