「『優位』という邪心」
2006年 11月 25日
僕は追いつめられた子たちに何もしてあげられないけれど、正直なところ、これを読んで、「それに比べれば、俺なんて、くだらないことで『優位』という邪心を持ちまくってるな~」と苦笑してしまった(^^;
くだらないことで「優位」という邪心を持たないと誓うことはできる。
ま、「くだらないこと」とは何なのか、人によって定義はさまざまなのだろう。ある人からみれば、「くだらないこと」であっても、当の本人にとっては「譲れないこと」だったりする。ある物事に対する見方が一つしかなければ、ま、そんなことがあれば怖いけど、でも、それはそれでそれなりに平和なのかもしれない。その物事をめぐって争うことは避けられるかもしれないからね。
でも、現実世界では、ある物事に対する見方がたくさんあって、だから人々は対立するし、反対の行動をとったりする。ある会社の株を売ろうと思う人がいるのと同時に、その株を買おうとする人がいるから、株の取引が成立する。未来は、明らかに見る人によって異なっている。
よくよく考えてみれば、ビジネスの社会では、くだらないことで優位性を打ち出し、利益を積み重ねている。「競争優位」といった言葉はビジネスの世界では日常茶飯事のように使われる。しかし、優位であるのはほんの少しのコストの差であったり、ほんの少しのシェアの差であったり、ほんの一時の注目であったりする。絶対的な競争優位、永続的に続く競争優位などありえない。優位性に胡坐をかいた企業は、やがて衰退するだろう。
私ならば、「優位」ということに対してどう考えるか。もしかしたら、こんなふうに考えているのかもしれない。
ちっぽけな「優位」は、すぐに「優位性」を失う。だから、そんなところにいつまでも留まっていてはいけない。 僕は、まだまだ先に行くよ。いつも自らにハードルを課し、それを乗り越えていくことで、「優位性」を保ち続けられるように努力し続けるんだ。ま、これも一つの価値観かな。旧友のblogを見て、ふとそんなことを感じた。そろそろ忘年会の季節。旧友たちにも会いたくなった。元気にしてるかな?
自分で書いておきながら、難しい問題すぎてうまく表現できなかったよ。
文字にしながら、自分に対しての戒めや、気持ちの整理をしています。
同じ事柄も人によって見方は違うし、それはあたりまえのこと。
どこか通じ合う部分があるのなら、それだけで嬉しく感じます。
僕は元気。わが期は同窓会ってやってますか?
文字にすると、気持ちが整理できるというのはよく分かります。逆に、うまく表現できなくて、もどかしくなるときもあるのですが...