これが安倍総理の再チャレンジできる社会ということか?!
2007年 02月 02日
海外のメディアでは、内閣支持率低下の傾向と、久間防衛大臣が、ブッシュ大統領のイラク開戦の判断は誤りだったとか、普天間移設に対して偉そうに言うなとか言った問題と合わせて、柳沢大臣の「女性=産む機械」発言について取り上げている模様。
ちなみに、記事の中では、「産む機械」という表現は "birth-giving machines" とか"child-bearing machines"と表現されている。例えば、こちらとか、こちらとか、こちらとか。
随所にあまり美しくない表現が使われた記事だったが、"foot-in-mouth disease"(失言病?!)という表現が使われていたのには苦笑した(^^;; なるほど、病気なら、治さねばなるまい(^^;;
石原都知事は、「例えの仕方が悪かった」と言っているようだが、「例え」というのは、全く考えもつかないようなモノに例えることはできないのだから、普段からそんなふうに見ているか、あるいは、過去にそんなふうに見たことがなければ、なかなか例えられるものではないと思う。きっと、柳沢大臣は、そんなふうに見たことがあるか、あるいは、今もそんなふうに考えているのかもしれない。
この発言が出てくる背後には、「女性は、人間ではなくて、機械なのだ。」という考えが心の奥底にあるような気がしてならない。機械自体には、感情は無いし、悪くなったら取り替えることもできる。女性もそれと同じようなものだと考えているのなら、恐ろしい話だ。
そんな考えを持っている人に少子化対策を任せようとして、失言を水に流し、再チャレンジさせる周囲のオトナたちは、同じような考え方を持っているのだろう。なんともお寒い状況だ。
本当の再チャレンジできる社会というのは、失敗や失言を水に流すというものではない。責任をとり、自分の尻は自分で拭いてから次に進むべきである。日本という国を代表する人物が無責任な言動を繰り返していれば、子供たちもそれを真似して、無責任な言動こそが美しいと思うようになるだろう。
果たして、それが「美しい国」なのだろうか?それが「再チャレンジできる社会」のあるべき姿なのだろうか?
この国には政治家がいないのか?この国には起業家も少ないが、大所高所に立って政治的判断を下せる政治家はもっと少ないのではないか?っていまさら気付くなよーって感じかもしれませんが...