「できる」女性像
2007年 07月 16日
まあ、それはそれとして、個人的に「この人、『できる』な~!」と思うのは、「料理がテキパキできる」場合。
シリコンバレーで知り合った人の中に、「『料理ができる』ということで、採用されてしまいました~」という人がいた。聞くところによると、面接で、ある料理を作るときに、どのような手順で進めていくかということをひとしきりきかれ、「じゃ、採用!」となったようだ。
彼女を採用した会社は、とあるコンサルティング会社。さすがに少し不審に思った彼女が、採用した人に聞いたところ、採用した人は、こう答えたという。
「料理をするということは、事前に準備をしておいて、それをタイミングよく、パッパッとこなしていく必要がある。仕事も同じ。事前準備は必要で、時と場合に応じてアレンジし、パッパッとこなしていく必要がある。」ま、どこまで真剣にそんなことを言ったのかは別にして、人と少し話せば、その人となりが分かるものだから、そんな理屈は後からつけたものかもしれないが、とはいえこの理屈は、なかなかいいことを言っているような気がする。
ちなみに、味付けは、ちょっとセンスのいる作業。これまた仕事も料理も同じだが、同じ仕事をしても、あるいは同じメニューを作っても、人それぞれ、作品の味付けは、少しずつ違う。ぴったり合えばいいのだが、意外性も楽しみたいところ。
このblogでも食べ物のエントリーがたくさんあることから分かるように、私はとっても食いしん坊~♪味の違いがよく分かるようになってきたのは、仕事をし始めてからと、少々遅咲きだが、ま、それにしても、料理のできる女性というのは、憧れの目を持って眺めてしまうのでありまする(*^^*)
食というのは主観で楽しめるということだが、確かにそうかもしれない。しかし、「目は一代、耳は二代、舌は三代」と言われるくらい、食は奥が深いようである。この話についてググると、次のようなものが出てきた。「目一代、耳二代、舌三代」という言葉があります。ゴッホなど、目で見る芸術家は一代で大成していますよね。だけど、耳からの芸術、例えばモーツァルトは父親の音楽を聞いて育っており、どうしても二代かかります。それから「舌三代」ですが、本当にグルメになるには三代かかるということ。祖父母の代から本物の味を知って育たない...... more