遠い存在だった神戸に住むようになって迎えた震災15年目

阪神淡路大震災から15年。震災当時、まだ京都で研究生活を送っていたこともあるが、神戸に親しい友人がいたわけでもなく、土地勘もまったくなかったので、神戸は心理的に遠い存在だった。しかし、縁あって今は神戸に住んでいる。震災を知らない市民の一人となっている。

去年の夏頃、震災当時、本山第二小学校に通っていたという人の話を聞いたことがある。まだ子供だったため、わけもわからず、ただ毎日みんなでワイワイ過ごしていた、とか。笑いながらそんな話をしていたが、本当のところはどうだったのか。それは分からないままだ。

また、震災当時、神戸の会社に勤めていた人は、幸いにも被災しておらず、同僚から「あなたは被災していないんでしょ」と言われ、逆差別を受けた、とか。被災した人は、被害者意識に苛まれ、毎日を暮らしていくのが精一杯だったのかもしれない。その人は、そんな逆差別をバネにして、仕事に打ち込んでいたという。

今は、周りには震災の傷跡らしいところも見当たらず、落ち着いた街並みを見せている。「<阪神大震災>6434人へ祈り 17日で15年」という記事では、
人口は震災前を上回り、まちを歩いても震災の傷跡を見つけることは難しい。
と書かれているが、まさにそのとおりだろう。

しかし、当時は悲惨な状況だったのかもしれない。もしそうだとすれば、本当によく復活したものだ。今度は、ハイチが15年前の阪神大震災を超える規模の災害に遭っているようだが、一日も早く復興することをただ祈るばかりだ。犠牲になられた方のご冥福をお祈りしたい。
Commented by i0812n at 2010-01-17 09:12
おはようございます。初めてのコメントです。今回の阪神大震災、もう15年ということで早いものですなぁ。6434人も亡くなられたという
ことですが、まだ死者も「孤独死」で増え続けているという件は、とても心が痛いものですね。改めて、その亡くなられた方のご冥福をお祈りしたいものですね。
grehamabi.exblog.jp
Commented by yoshinoriueda at 2010-01-19 10:49
i0812nさん、コメントありがとうございました。

おっしゃるとおり、ネームプレートに刻まれていないまま、時間の経過とともに亡くなっている方々もおられるようで、痛ましい限りですね...
by yoshinoriueda | 2010-01-17 00:21 | 旅・風景・グルメ | Trackback | Comments(2)

清涼剤はSilicon Valleyの抜けるような青い空。そして・・・


by yoshinoriueda
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