遠い存在だった神戸に住むようになって迎えた震災15年目
2010年 01月 17日
去年の夏頃、震災当時、本山第二小学校に通っていたという人の話を聞いたことがある。まだ子供だったため、わけもわからず、ただ毎日みんなでワイワイ過ごしていた、とか。笑いながらそんな話をしていたが、本当のところはどうだったのか。それは分からないままだ。
また、震災当時、神戸の会社に勤めていた人は、幸いにも被災しておらず、同僚から「あなたは被災していないんでしょ」と言われ、逆差別を受けた、とか。被災した人は、被害者意識に苛まれ、毎日を暮らしていくのが精一杯だったのかもしれない。その人は、そんな逆差別をバネにして、仕事に打ち込んでいたという。
今は、周りには震災の傷跡らしいところも見当たらず、落ち着いた街並みを見せている。「<阪神大震災>6434人へ祈り 17日で15年」という記事では、
人口は震災前を上回り、まちを歩いても震災の傷跡を見つけることは難しい。と書かれているが、まさにそのとおりだろう。
しかし、当時は悲惨な状況だったのかもしれない。もしそうだとすれば、本当によく復活したものだ。今度は、ハイチが15年前の阪神大震災を超える規模の災害に遭っているようだが、一日も早く復興することをただ祈るばかりだ。犠牲になられた方のご冥福をお祈りしたい。
ことですが、まだ死者も「孤独死」で増え続けているという件は、とても心が痛いものですね。改めて、その亡くなられた方のご冥福をお祈りしたいものですね。
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