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セグウェイ日和

シリコンバレーは、3月最後の日をキッと締めくくるかのような快晴!通勤途中のラジオでも、"This could be the best day of the week."と言っていた。週末にかけて天気が崩れる模様...

昼下がりの午後、オフィスの入っている建物の入り口付近でちょっと休憩していると、前の舗道をセグウェイにのって散歩(?)しているビジネスマンの姿が目に入った。カーブで見えなくなったなーと思っていると、またもう一台、別のセグウェイが...。さっきの人の知り合いだろうか?今度の人は、ネクタイをしている。ちょっと止まって、少し方向を変えて、また走り出した。なにか考え事でもしているのだろうか?(ちょうどそのとき、デジカメを持っていなかったのがちょっと残念だった...)

それにしても今日はセグウェイ日和なのかもしれない。

渡辺千賀さんのblog「On Off and Beyond」には、セグウェイでかくれんぼをしている子供たちのがエントリーされていたが、そのコメントにも書いたように、セグウェイで通学している子供をみかけたことがある。バックパックを背負って、ヘルメットをした中学生くらいの男の子だった。道路の舗道を通って、横断歩道のところで独りで信号待ちをしていた。方向指示器やミラーはついていなかったような気がする。

最近、セグウェイは、新型を発売した模様。新しいカラーモデルi180(↓:$4,495.-)と、

オフロードモデルXT(↓:$4,995.-)と、

ゴルフ用モデルGT(↓:$5,495.-)。

このほか、小さいコンパクトモデルp133というのもあるそうだ。

詳しくは、ウエブサイト、またはカタログ(pdf)にて。



さて、それはともかく、今月の半分はシリコンバレーにいなかったのだが、非常に密度の濃い月だった。今月もいろいろなことを経験することができた充実した月だった。本当にいろいろな方々に感謝、感謝。そして、あっという間に日本の多くの企業が迎える年度末。2004年度も今日でおしまい。明日から2005年度。シリコンバレーでは、3月末は第1四半期が終わる時期。明日から、また新しい何かが始まる。そう期待しながら、がんばろうと思う。

  by yoshinoriueda | 2005-03-31 18:44 | シリコンバレーで感じる! | Trackback | Comments(2)

女性が男性より数学がよくできるという結果を見て・・・

ハーバード大学のサマーズ学長が女性蔑視につながる発言をしたことで、不信任動議が採択されているようだが、今朝の Wall Street Journal では、女の子のほうが男の子よりも数学の成績がいいというイギリスのデータが紹介されていた。

その記事に掲載されていたグラフによると、1997年以降、女の子の成績のほうが男の子のそれを上回っている。このデータをとっている学校のFrankie Teagueという教師によると、サマーズ学長の見解と同じように、男の子の方が、もともと数学に対してよい成績をとる傾向にあることは認めている。「データの採り方」という問題もあるため、この現象を完全に肯定できるほどの根拠はないとは思うが、この教師によると、男の子がトップの成績をとっているものの、教え方によっては、男の子と女の子の成績の差は縮まるとのこと。

個人的には、どちらが優れているとか劣っているという問題ではないと思う。生物学的に、男性と女性の差はあるので、それぞれにはそれぞれにしかできないことがあるだろう。しかし、性差は、脳の差と完全に一致しているとはいい難いと思う。女性だから、男性だから、という問題ではなく、脳の特性として、何が得意で何が不得意かということが、個人個人で、ある程度は決まってくるのではないだろうか。

そう考えると、何が得意か不得意かということは、脳を調べれば、ある程度のことは分かるのかもしれない。だから、脳に対する知見が得られると、こんな問題は解決するのかもしれない。しかし、そのほうが幸福なのだろうか?逆に、そんなことが分からないから、いろいろ経験しながら一生懸命何かをやっていけるのかもしれない。そして、そんな情熱とかやる気とか、そんなものが行動をドライブして、喜びや悲しみ、嬉しさや悔しさを味わうことにつながっていくのだろう。そして、だからこそ、人間なのかもしれないな~とも思う。

ただ、アメリカで仕事をしていると、どうも、「人」が「機能」に対して割り当てられているようなところもあって、仕事をしているその「人」は、なんらかの「成果」を挙げる主体ではあるけれど、「人間」的であるかというと、よく分からなくなることも多い。ストレスが溜まって、ため息などが聞こえたとき、初めて、「あー、この人もやっぱり人間なんだ」と思うのかもしれない。子供の話を嬉々としてしているときに、「あー、この人もやっぱり人間なんだ」と思うのかもしれない。

そういえば、先日、JTPA「技術交流会: ゲーム業界の明日を語る」と題したセミナーで、同じような話を聞いたような気がする。アメリカでゲームを開発するときは、どんな仕様の「人」が必要かということを決めてから、実際に「人」を探すことが多いらしい。「人」が必要となる「機能」に対して割り当てられるという感覚だろうか。日本でゲームを開発するときは、「この人はこれとあれができるから、これをやってもらおう」といった形で進んでいくらしい。

「人」を「機能」に対して割り当てると、全体のチューニング、いわゆるマネジメントの具合によって、「成果」は変わってくるだろう。しかし、「この人はこれとあれができるから」という形で仕事が進むと、その人が頑張ることによって、ある程度の形にはなってくるのかもしれない。そんな様子をパネリストの方が、「日本式でやると、問題解決能力が高い」というような形で表現されていたような記憶がある。

どちらが幸せか、それはその人によって違うから分からないけれど、ただ、1回きりの人生なんだから、楽しんでやらなければ!そうでなけりゃ、面白くないのだから...

Enjoy your life!


参考:米ハーバード大学サマーズ学長性差別発言問題
   毎日新聞記事
   livedoor news
   男女の差別と差異(学長がそう考えた2つの理由)

  by yoshinoriueda | 2005-03-30 23:18 | いろいろ読んで考える! | Trackback(1) | Comments(0)

卒業とは...

父 「どうしてエンジニアの授業をとらないの?」
娘 「だって、将来、インドに職探しに行くのは嫌だもの...」

今日の Wall Street Journal によると、こんな会話がシリコンバレーでは行なわれているらしい。アメリカでは、近い将来、エンジニア不足になると危惧されている。日経エレクトロニクスかなにかの記事には、「将来、子供にエンジニアの道を勧めない」というようなエンジニアの声が掲載されていたのを目にしたような記憶があるので、日本でもエンジニアのキャリアを避けようとする方向は同じなのかもしれない。

エンジニアになるためには、基本的に数学的な考え方は必須といってもいいかもしれない。ここが弱ければ、すべてが成り立たない。そんな当たり前といえば当たり前のことをしっかりと認識しているのが、もしかしたら、アメリカの高校なのかもしれない。

同じく Wall Street Jounal によれば、テキサス州では、2008年から、高校卒業資格が厳しくなるとのこと。こんなふうにして、高校を卒業するということが大学での学習の基礎を保証するというサイクルができるならば、将来的には地域の活力も出てくるのかもしれない。もちろん、時間はかかるだろう。しかし、このような地道な取り組みこそが、本当は求められていることなのかもしれない。日本では、ようやくゆとり教育路線は見直される模様。(まだ「雰囲気」だけなのだろうか?)高校卒業資格を厳しくしようなどという発想はないだろう。

a0004752_12293066.jpgアメリカでは、学校教育の現場から、能力主義が入っている。自分に合ったレベルのクラスをとるのは、ある意味、当然。人間、能力に差があって当然なのだが、それを自然に実現しているように見える。日本では、能力の差と機会の差が同じようにみなされていて、どうにも窮屈である。そんなことを感じるのは自分だけだろうか...

3月は卒業の季節。単に、「時間が過ぎたから卒業」なのではなく、「何かをマスターすることができたから卒業」というのが本来あるべき姿なのかもしれない。自分は、いつ、何から卒業できるのだろう。部屋の整理をしていて、先日、旅の途中に立寄ったときに撮った写真の中に、卒業式に向かう(?)女性の姿らしきものを見つけ、ふと、そんなことを感じた。

  by yoshinoriueda | 2005-03-29 19:20 | つれづれなるままに... | Trackback | Comments(0)

トイレの戦い(?) in アメリカ

今朝のシリコンバレーは雨。ビニール袋に包まれて庭先に届けられた地元紙San Jose Mercuryには、便座を見つる男性が二人...

写真にあるBrondell社の温水洗浄便座Swash600は$549。TOTO(東陶機器)ウォシュレットにそっくりだけど、問題ないのだろうか?ちなみに、日本では7万円台から30万円台までイロイロある模様。高機能なのかもしれないが、高いような気もする。アメリカでウォシュレットがついているトイレは、もしかしたら見たことがないかもしれない。S.I.さんのブログでも、「日本にあってアメリカにないもの」としてウォシュレットが挙げられていた。 

ウォシュレットは『ライフスタイルのシンボル』」となった今、中国でも、「上海高級ビルの一つの目安は、ダイキンの空調とTOTOのウォシュレットが設置されているかどうかだ。」といわれている模様

「お尻だって洗ってほしい」という宣伝で一斉を風靡し、「『買い手の認知(パーセプション:『どう思っているか』という頭の中の情報の結びつき、考え方)に働き掛け、変化させた、そのことで、新たな需要を創造した』具体例」とまで言われたウォシュレット。

その開発にあたっては、さまざまな苦労(「楽しみ」を含む???)があったようで、大学院のケースとしても取り上げられている模様。今後、Brondell社の温水洗浄便座Swashの登場により、アメリカ市場でどう戦っていくかで、また新たなケーススタディーを見ることができるかもしれない。マーケティングが肝なのか、特許など技術的なところが肝なのか、あるいは、その両方なのかもしれない。

TOTOは、MP3の再生できる便座も発売したようだが、TOTOの方々の善戦を期待し、アメリカでも「普通に」ウォシュレットが見られる日が早く来るよう祈りたい...(^^;

FYI
 ・「かなりファニーなトイレのお話」 
 ・オトコ心そそる「魔法の便器」 
 ・知識の泉 Haru’s トリビア より 「聖母マリア」 「ゴォーーールッ!

  by yoshinoriueda | 2005-03-29 07:57 | いろいろ読んで考える! | Trackback | Comments(0)

アメリカにおける子供へのお金に関する教育

今日のWall Street Journalには、「Kids & Money」と題した記事が掲載されていた。お金に関する経験は、学校で教えれば済むというものではないと常々感じていた。学校教育の中で、というよりも、親、あるいは、家庭の中でのというのが基本だと思っていた。ざっと記事に目を通してみると、やはり、その考え方は大きく間違ってはいなかったようである。

6歳までは、ブタの貯金箱で十分だけれど、7歳くらいになると"money allows you to do things"を理解するようになるとのこと。短期的な貯金と、将来の準備のための長期的な貯金の違いも分かってくるということで、8歳の男の子の例が挙げられていた。記事によると、10歳から12歳が、"sweet spot for teaching a range of financial lessons"らしい。ATMカードというものを教えるのもこの頃らしい。13歳から15歳には、プリペイドのクレジットカードを、16歳以降は、ホンモノのクレジットカードを持たせるようなケースも紹介されていた。

簡単な計算ができるようになってくるのに合わせて、少しずつ教えていくというのが基本だろう。そのときに、お金だけを教えるのではなく、お金によって、何ができるのか、何のためにお金を使うのかということを教えなければならないと思う。

Googleでザッと(約30秒...(^^;)検索したら、「アメリカの小学生の投資学習紹介」というページの中で、「何かを生み出すための投資」という言葉に出会った。まさにこれである!

学校の先生や金融庁だけに頼るのではなく、しっかりと、しかし、あせらずに、家庭の中で、生きた知恵を教えていくことが大切なのだろう。そのためには、親も努力しなければならない。教えるということは、そんなに簡単ではない。教えるために勉強したり努力したりする必要はないかもしれないが、世の中の動きや考え方の本質的な理解は必要だろう。そんなことを改めて考えさせられた。

  by yoshinoriueda | 2005-03-28 19:57 | いろいろ聞いて考える! | Trackback | Comments(0)

HBR: Lean Consumption(Vol.83, No.3, 58p-)

Harvard Business Reviewの2005年3月号の記事「Lean Consumption」は、トヨタのlean productionからヒントを得て出てきている概念で、プロセスを改良することにより、売る側、買う側の双方が無駄な時間を省くことの大切さを主張するものであった。

読み終えた瞬間には、あまりに当たり前すぎて、この記事自体に価値がどれだけあるのかと思ったが、少し考えてみると、特にアメリカでは、この記事は、非常に大きな価値を持っているような気がするようになってきた。そして、産業のサービス化ということが何を意味するのかも少し理解することができたような気がする。

とにかく、何事も時間がかかる。ちょっとした用事で1日がつぶれてしまうということはザラにある。まさに、「Your time has no value」とでもいわんばかりの対応は、日常茶飯事に目にする。モノもサービスもすべて同じようなものである。そんなわけで、アメリカという国には、まだまだビジネスチャンスが山のようにあるようにも思える。アメリカというのは、先進国だけれど、まだまだ ある意味 発展途上国。そんな気がする。

  by yoshinoriueda | 2005-03-27 20:10 | いろいろ読んで考える! | Trackback | Comments(0)

日本のポップカルチャーの独自性が持つ力 

Jamie Lynn Spearsが出演している「Zoey 101」が我が家の子供たちの今のお気に入りらしい。 

このJamieちゃん、Googleの検索で第一位に輝く(?!)「Britney Spears」の妹ということもあるせいか、なかなかカワイイ。


土曜日のSan Jose Mercuryには、「少年ナイフ」の記事。Japanese Rock Bandというと、もう少しメジャーなのはPuffyかもしれない。
Hi Hi Puffy AmiYumi (ハイ!ハイ!パフィー・アミユミ)」というアニメ番組は、子供たちの間で大人気だとか。"Teen Titans"というアニメ番組のテーマソングも歌っている。

鈴木ミャオさんの「色を制するものは○○を制す」によれば、
「薄い肌色は人の注意を引かないから、なるべく黄色にしてしまおう、背景は黄色が映えるピンクにしようというマーケティング戦略である。」
ということで、こんな派手なCDジャケットになっている様子。アニメのトーンもこんな感じなので、子供たちの目を惹くことも容易になっているといえるのかもしれない。

日本のモノや人がアメリカなど世界で受け入れられてきた背景には、圧倒的な「パフォーマンス」のよさが鍵だった。ソニーのウォークマンにしろ、ホンダやトヨタの車にしろ、モノの持つパフォーマンスのよさが、他を凌駕している。人についてもおなじだろう。ノーベル賞を受賞した利根川進氏や、青色ダイオードの開発に対する貢献者である中村修二氏、そして、野球選手のイチロー、アメリカではないけれど、サッカーの中田英寿氏など、人が出す成果が抜群であるために受け入れられているということがいえるだろう。

その一方で、日本のポップカルチャーは、その独自性が鍵なのかもしれない。ポップカルチャーの特徴をパフォーマンスで計るのは難しい。複雑でありながら、巧妙かつ飽きさせないストーリー展開や背景の設定、無宗教的でありながら哲学的でもあるという要素の存在、日本のありのままを示せるキャラクター性、など、それぞれ個別の事情があるようにみえるが、共通の要素は独自性だと思える。独自性とはなにか。辰巳渚氏が、以下のように日本的な特質を述べている
「あいまい、無意味、感性、精神性。そんな日本的な特質が、「生産の世紀」のあとに価値を取り戻す。」
パフィーには、素朴さというか素直さというか自然体というか、そんな魅力があるのかもしれない。がんばらないでいい、そのままでいい。それでも受け入れてもらえる。捨てる神あれば、拾う神あり。ちょっと違うか... まあいずれにせよ、もし、自分をありのままに受け入れてくれる人がいるならば、それはそれで幸せだということだろう。無理して自分を良く見せる必要も無いし、背伸びしなくてもいいのだから、癒されなくてもいい。いつも癒された状態になって、逆に他人を癒していくかもしれない。

たまたま読みたいと思っていた「模倣される日本」について、橋本大也氏が
「日本は良くも悪くも「異質」だと内外から言われてきた。その異質さにチャンスがあるのかもしれないとこの本を読んで感じた。」
書いているが、これと同じような感覚を、偶然、今朝の新聞記事から感じたような気がする。

  by yoshinoriueda | 2005-03-26 10:33 | いろいろ読んで考える! | Trackback | Comments(0)

朝のハイウエイ101号線での通勤時の風景・・・

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  by yoshinoriueda | 2005-03-25 09:00 | つれづれなるままに... | Trackback | Comments(2)

起業家は懲りない:25年前の研究テーマをビジネスにするNumenta社のHawkins氏

a0004752_149264.jpgここのところ雨が続いたシリコンバレーも、今日は少し晴れ間が見える。子供たちを学校に送っていった後、独りでオフィスに向かう途中、シリコンバレーの地元紙San Jose Mercuryを読みながら通勤。車の運転があるので、信号で止まりながらヘッドラインや図、写真を目で追っていると、見たことのある顔を見つけた。先日、スタンフォード大学で講演していたDonna Dubinsky女史。先日、日本語環境を入れたスマートフォンTreoの開発など、Palmを率いてきた彼女が、また、新しいビジネスを始めるとのこと

なんと、共同創業者は、これまたPalmで一緒にやってたJeff Hawkins氏。脳と同じような動きをする全く新しいコンピュータを作るらしい。さらに面白いと思ったのは、会社名。Numentaというらしい。これ、ペン型入力コンピュータを作ろうとして失敗したMomentaと似ている。数年後には、“Momenta? Numenta!”ということで、成功して新聞の紙面を賑わせるのか、あるいは、“Numenta? Momenta...”ということで、失敗して、「あら、ちょっと名前が良くなかったのかもしれませんわ~♪」と笑って済ませるのか。実際、スタンフォード大学でのプレゼンでも、Momenta社の名前がスライドに出ていましたから、彼女はきっとそれを知った上で名づけているはず。「会社名ですか?それ、シャレでんがな~♪」と大阪弁をふりまわすわけはないと思いますが、いずれにせよ、この会社の将来は乞うご期待ということで...(^^;

ちなみに、個人的な気持ちとしては、成功して欲しいと思います。脳の動きと同じように動くなんて、話を読んでるだけでもワクワクしてきます!映画Matrixなどにも影響を与えている日本のアニメ攻殻機動隊の世界は、もうスグそこに...

それはともかく、Hawkins氏が25年前、Intelで研究していたテーマを、今になって、また挑戦するなんて、ホント懲りない人ですね。起業家というのは、ちなみに、彼は、REDWOOD Neuroscience Institute(RNI)という組織を立ち上げている模様。すでに準備万端、といったところなのでしょうか。 渡辺千賀さんのbolgのエントリー 「この世で最も悲観的なアントレプレナー」でも、
とはいうものの、彼もアントレプレナーに不可欠な「しつこい」という点に関しては、決して人に負けることはない。今回のベンチャーも最初の資金調達では1年近く粘りに粘っていろいろな案を練り直していたし。淡々と、しかし成功するまでやめない、というタイプか。
と起業家の気質のようなものが紹介されていましたが、起業するには、このような「しつこさ」みたいなのが必要なのかもしれません。そして、まさに、“Big idea can take a long time to gestate.”なのかもしれません。

  by yoshinoriueda | 2005-03-24 12:36 | いろいろ読んで考える! | Trackback | Comments(0)

自分のポジションを確認するメンターという存在

ウノウの山田進太郎さんのblogの「自分は他人より優れた結果を残せる」というエントリーを読んでいて、「自分のポジションをどのように知るべきか」ということを考えさせられた。「自信」というのはあってもいいのだが、「謙虚さ」を失ってはならない。このバランスをとる方法の一つとして、「メンターの活用」という解があると思う。メンターは、自分のことを良く知ってくれている人で、知識や経験も豊富で、その鋭い洞察力から、適切なタイミングで適切なアドバイスをしてくれる信頼できる人である。

自分のことは自分が一番良く知っているというのは、正しい場合もあリ、正しくない場合もある。自分では気づかない一面を他人が教えてくれるということは往々にしてあるものだ。実際、自分が自分のことをどう思おうと、それは直接「稼ぎ」にはつながらない。なぜなら、他人が評価して、その結果として「稼ぎ」がもたらされるからである。それは、社内の場合もあるし、社外の場合もある。他人に実績を見せることで、他人が評価して、そこから仕事が生まれてくる。他人からの評価というのは、決して常に正しいと言うわけではないが、避けて通ることはできないものである。

メンターを得るのは大変である。自分が尊敬できる人であってほしい。尊敬できる人に、自分のことを考えてもらう気持ちと時間を持ってもらわなければならない。そのためには、信頼を得なければならない。信頼を得るためには、行動して考えていることを実現していくことを見せなければならない。そのためには、時間も必要である。決して、Googleで検索して0.1秒以内に見つけられるというものではない。

メンターは、最初のうちは、親だったり親戚だったり、学校の先生だったり、と身近なところから始まるかもしれない。しかし、仕事をするようになるにつれて、仕事で関与する人たちの中からメンターとなる人に出会えると、とても楽しい。仕事にも張り合いが出る。やりがいにつながる。逆に、そんな楽しさを知っているにもかかわらず、仕事を通じて、そんな人にいつまでたっても出会えないとすれば、かなりフラストレーションが溜まるものである。

メンターは、一人ではなく、複数の人が必要となるだろう。なぜならば、人間は一人ですべての問題を解決できるほどスゴくはないからである。刑法も商法も特許法も知っていて、特許も一人で書くことができて、さらには自分で審査することもでき、脳神経細胞の再生治療の利点から、球状半導体や検索ソフトの技術的な問題点、ボイジャーの遠隔操作技術、スワップやオプションのプライシングも知っていて、英語やフランス語だけでなく、日本語やグジャラティー地方の言葉が話せて、日本の携帯電話の周波数割り当ての議論とその方向性が理解できていて、インドに投資する際にどのようなストラクチャーを作ればいいのかもわかっていて実際に法律家が書くような契約書まで作成できる・・・、なんて人はいないはずである(^^; だから、複数になってしかるべきだと思う。

賢者は愚者からも学ぶ。「我以外、皆わが師なり」という視点は大切だろう。しかし、メンターという相手の力を利用することで、もっと「お気楽に」自分のポジションを確認し続けることができるだろう。自分で気づくだけでは限界がある、ということに気がついて、メンターとの対話の中から発見するということの楽しさを知ると、人生はもっと面白い。そして、自分自身を磨いて、メンターに値するような人間になるということを目標にすることも、実は結構面白いのかもしれない。でも、その前に、自分の食い扶持くらいは稼がねば...(^^; そんなことを感じた。

  by yoshinoriueda | 2005-03-23 17:30 | いろいろ読んで考える! | Trackback(1) | Comments(7)

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