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諦観のような感覚は大切かも...

Takaさんのfladdict.net blogの「アップルの本質は「あちら側」ではないのか?」というエントリーの中で、
では、圧倒的な技術に支えられたグーグル・ゲートルウェイは磐石なのか?というと1つだけ致命的な弱点がある。それはインターネットの、さらにはコンピュータの手前に、「あちら側」へのバイパスを築かれることに対してグーグルは余りにも無力であるということだ。
というところがあったが、この部分を読んで、まず思い浮かんだのは、Sotto Voceで紹介されていた「Google Gulp」 これこそ、Googleアップルに対抗する「あちら側」への道、そう、最終兵器だ!




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という冗談はさておき、梅田望夫さんの怒涛の(?!)blog論が、あっという間に(6)まで進んでおり、その中で紹介されていたfladdict.net blogを読んでいくうちに、また、梅田望夫さんのblogに戻った。

戻ったところで読んだ産経新聞「正論」(1/10)の記事では、「あちら側」と「こちら側」という言葉が出てきたが、この言葉を聞くと、漫画「キリン」を思い出してしまった。「こっち側の人間」という描かれ方をしていたようだが...


それはともかく...

今回の怒涛の(?!)blog論については、いろいろ考えさせられたところがあるものの、印象に残ったというか、何度も考えたのは、
僕の偏見であるが、このコメントは相当悪質だと思い、本当にがっかりしたな。
という一言! 「本当にがっかりされたのだろうな~」というバカみたいな感想なのだが、実は、blogに限らず、リアルな会話でも、発せられた言葉にがっかりすることはよくある。

個人的には、「がっかりする」くらいで済ませられるような大人になりきれないことも多く、自分の未熟さを思い知ることも往々にしてあるのだが、人生、「がっかりする」ということで済ますことができる一種の諦観のようなものは、実は大切なのかもしれないとも感じる。

諦めが悪いという性格が、そんなことを感じさせるのかもしれないのだが、逆に、そんな感覚があるからこそ、なんとかできるなら、なんとかしたいと思ったり、なんとかしようと思ったりする感覚も出てくるのかな、と自分なりに納得してみる。(ちょっと違うような気もするが...)

あるいは、何かにけじめをつけるというか、何か気持ちを整理するというか、そんなものがなければ、何かを決めて先に進むということはできないのかもしれないとも感じた。

4月も実質的には今日でおしまい。あっという間の1カ月だった。日本はゴールデンウィーク。アメリカにはこの時期そんなものはない。せめて天気の良い週末であることを期待したい。

  by yoshinoriueda | 2005-04-29 00:22 | いろいろ読んで考える! | Trackback | Comments(5)

雨期が終わってもいいころなのに、うるさいくらいの大雨・・・

凄い勢いで雨が降っている。雨期が終わってもいい頃なのに、雨が降っていて、雨音がうるさいくらい... 気温も低くて、朝夕は薄手のセータかジャケットを羽織っている。 少しヘンな気候...

天気予報で見ると、東京の最高気温がサンフランシスコよりも10度近く高い!米子がフェーン現象で最高気温を更新するなど、連休前の日本列島は陽気に包まれているのだろうか...

***

と思ったら、昼から晴れてきて、サンフランシスコへのドライブも快適~♪

Redwood Shoresに戻ってサンフランシスコ湾を見ていると、エイトが水面を滑ってきた。埋め立てられた湾の形が水路をとるのに適しているせいか(↓)、よく練習しているのを見かける。

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<写真はGoogle Mapsより>

  by yoshinoriueda | 2005-04-28 06:43 | シリコンバレーで感じる! | Trackback | Comments(2)

自分の写真を切手にすることができます!

というのは、ここ米国で実験的に始められるようである。Stamps.comでは、PhotoStampsというサービスを開発し、USPSとともに展開するとのこと。そんな☆チャレンジ精神旺盛☆といえるような取り組みが素晴らしいっ!

a0004752_3464278.jpgスタンフォード大学にも、現在のオフィスにも、郵便料金を計算して切手の代わりになるものを打ち出してくれる機械が据えつけられている。これとの違いは、自分で写真を選んで、それを切手にすることができるということ。何かの記念写真でもいいし、自分をアピールするようなものでもいい。要するに、既存の切手のデザインを自分の好きなものに変えることができるということである。

a0004752_347667.jpg日本にいたころ、「どらえもん」かなにかの切手が発行されたとき、それを手紙に貼ったら配達してもらえなかったという話を聞いたことがある。郵便局員は、アニメのキャラクターの切手を、子供のお遊び用と思ったらしい。そんな切手が発売されているとは知らなかったようである。

日本は郵政民営化が閣議決定されたようだが、それで組織運営が変わって、いろいろなサービスが打ち出されてくるまでには、まだまだ時間がかかるような気がする。それでも、変わるということはいいことなのかもしれない、と考え、淡い期待を抱きたい。

***

と思ったら、なんと、既にあるんですね。>ありがとうございました、テサラックさん
 写真付き切手

  by yoshinoriueda | 2005-04-27 08:44 | いろいろ聞いて考える! | Trackback(1) | Comments(4)

blogだって、いまや単なる・・・

佐々木俊尚さんは、「ブログで衝突するビジネスとフェアネスのゆくえ」の中で、ワーキングマザーズスタイルが映画を紹介していたことに対して、NHKが、「対価」をもらって映画を紹介したと報道したことについて取り上げていたが、この問題は、結局、何が「権威」なのかというところが問題になってくるのだと感じる。

書くほうには立場や意図があるだろうから、なんともいえないが、読み手は、書かれていることを頭から信用するのではなく、自分の考えを整理するヒントに使えるというぐらいの位置付けで考えていたら、大きな議論にはならなかったと思う。ま、そんなにコミュニケーションというものがそんなにドライに終始するはずもないかもしれないが...

NHK側は、「ボランティアで主婦達が映画の感想を書くなんてバカみたいじゃないですか」といった言い方をしているようだが、そのバカみたいなのがパワーを持ち出すと、それがある種の「権威」になり、既得権益を脅かす存在になるのだから面白い。既得権益を保護したい人は、それを排除しようと努力するかもしれない。しかし、時代の流れには逆らえないゾ~!ということだけはいえるだろう。

ホリエモンじゃないけれど、個人的な感覚では、インターネットの世界とメディアの世界にそれほど大きな差はない。今現在バラバラになっているのは、既得権益を持つ輩がのさばっている存在するからであって、もし誰もいなかったら、もし何のコンテンツもなかったら、どちらも単なるインフラにしか見えないかもしれない。

blogだって、いまや単なるインフラだろう。そこに何を載せるか、どうやって使うか、なんてことは、使う人が考えることであって、それは自由だ。著作権などの問題はともかくとして、誰にも規制する権利なんてない。

既に、この世界には情報が溢れている。読み手側がそれをどう判断するかは、blogに限った話ではない。何を権威と感じるかは、読み手次第である。「権威」とは自分がそう感じるかどうかであって、他人に言われて「ハイソウデスカ」と納得するようなものではない、少なくとも自分にとっては。(だから、立場や権力を楯にされると、もうそれだけで、住む世界が違うように感じてしまうことも多いのだが...)

  by yoshinoriueda | 2005-04-26 12:49 | いろいろ読んで考える! | Trackback | Comments(0)

シリコンバレーのオーラは薄れたか?

日経産業新聞で「オーラ薄れたシリコンバレー」というコラムを読んだ。渡辺千賀さんも取り上げられていたSan Jose Mercury Newsのシリコンバレー150という記事を紹介した後、昔はシリコン○○(アレー、フォレスト、アイランド、デザート、マウンテン、プレーリー、など)という地域がたくさんあったが、最近聞かなくなったのはシリコンバレーのオーラが薄れたからではないか、と書かれていたが、それは私からみれば全く違う。

シリコンバレーを真似ようとした地域がうまく行っていないのは、結局、それをコピーできるだけのリソースが集まっていなかったからに他ならない。オーラを頼りにして真似るだけでなんとかなると思っているなら、大間違いだろう。

別に、今住んでいるからといって擁護しようとか、そんなつもりは全く無い。ただ、日本的な発想で、海外のものを持ってきてちょっと変形させてそれでうまくいくというような安易な考え方を背景に感じるからこそ、そんな誤解がはびこるくらいなら、言っておかなければならないと感じたというのはある。

シリコンバレーは、一朝一夕でできあがったものではない。40年くらいに亘る蓄積があるのだ。40年くらいということは、世代でいえば、数世代分の蓄積があるのだ。その中でアップダウンを経験し、その時々の状況を相対化できるだけの蓄積がある。

他の地域では、10年くらいやってみてうまくいかなかったところで諦めてしまう、あるいは諦めざるをえないというところに大きな問題がある。

シリコンバレーは、いまでもシリコンバレーである。学校で習うとおり、半導体の技術をベースに持っている。栄枯盛衰は必須。ただ単にそれを繰り返しているだけである。繰り返せるというところに価値があるのではないだろうか。

オーラを感じることができるかどうかは、それを見る人次第なのだ。見ようとしない人には決して見えない。感じられない人には、残念ながら、何も感じられない。色眼鏡で見ず、何事も素直に見てみることが一番大切である。そして、きっとカリフォルニアの空の青さは、それを思い出させてくれるだろう。

  by yoshinoriueda | 2005-04-26 07:04 | いろいろ読んで考える! | Trackback | Comments(0)

シリコンバレーでの尼崎電車脱線事故の報道の様子

4月も終わろうとしてるにもかかわらず、シリコンバレーの朝はまだ肌寒い。水曜前後に、また雨が降るという予報もあるようで、ちょっと普通の年とは違うようである。昨夜KTSFで「救命病棟24時」を見て「20秒揺れただけでこの国は滅びるなんて・・・」という言葉にちょっと衝撃?!を受け、その後、尼崎での電車脱線事故の惨事を知り、朝も、居た堪れない気持ちがどこかに残っていた。

通勤途中の車の中でラジオを聞いていると、尼崎での電車脱線事故の話がニュースで流れてきた。その報道の様子は、「東京から250マイルほど西の尼崎というところで列車が脱線・・・約40年ぶりの大事故」といった感じだった。

なるほど、東京が基点となるのか~と妙に感心してしまったが、約40年ぶりなんて言われても、若輩者には全くピンとこない。物心ついてからの鉄道の大事故といえば、地下鉄サリン事件はともかく、信楽高原鉄道の事故ぐらいしか思い浮かばない。

San Jose Mercuryよると
Deadly train accidents are rare in Japan, which is home to one of the world's most complex, efficient and heavily traveled rail networks. Monday's crash was the worst since 161 people died in a three-train crash in 1963 at Tsurumi, outside Tokyo.
とあるから、それから考えると約40年ぶりということになるのだろう。

阪神淡路大震災から10年。天災は仕方が無いという側面はあるが、今度は人災による大惨事の可能性も高く、何かこう、残念でならない。安全だとかハイテクだと言われてきた日本。Wall Street Journalでは、ケータイを手に晴れ着姿で写真を取る女性たちの姿や、切符がわりになるおさいふケータイの話題が掲載されていたが、そんな日本は、今、何かが軋み始めているのかもしれない...

参考:「日本脱線事故、アメリカでも大きく報道」(シリコンバレー地方版

  by yoshinoriueda | 2005-04-25 09:04 | シリコンバレーで感じる! | Trackback(7) | Comments(0)

50歳がマラソンレースの折り返し?!

Missionとは違うのだよ!Missionとは!」のエントリーで紹介した大柴ひさみさんが、ブログ「ひさみをめぐる冒険」を始められたとのこと。

この大柴ひさみさん、普段から、JaM Japan MarketingColumunsでいろいろと情報発信されていて、これまた結構面白い。コラムで個人的に気に入ってるのは、「Mentor(メンター)って何だろう?」という記事の中の、「夫がメンター的立場で私にさまざまな助言を与えてくれます。」というところ。

夫婦というものにはいろいろな形があると思うので、何が理想かということは、人によって違うと思うが、こんな形になるというのもまた一つの理想形のような気がするし、そこに運命のようなものさえ感じてしまう。人生、運がすべてではないけれど、こんな強い運を持っている人を見ていると羨ましさなんて忘れてしまって、嬉しささえこみ上げてくる。

ブログ初心者」というエントリーに書かれていたが、来年の50歳が、マラソンレースのちょうど折り返し地点のように捉えられていて、そして、たとえマラソンといえども、力のある限り全力で一歩一歩、足を前に運んでいるような勢いがある。うーん、恐るべし!

シリコンバレーでは、一緒に仕事をしてみたいな~ と思える人と出会うことが多いのだが、大柴さんも またその一人。無事、太平洋半分横断の旅が成功することを祈っています。Good Luck!

  by yoshinoriueda | 2005-04-24 22:19 | いろいろ読んで考える! | Trackback(2) | Comments(3)

4月なのに雨・・・のシリコンバレー

もうそろそろ天気がいい日が続いてもいい頃だと思うのだが、今朝は、屋根をたたく雨音がうるさいくらいの雨...

***

夕方には、すっかりきれいに晴れ!
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  by yoshinoriueda | 2005-04-23 06:20 | シリコンバレーで感じる! | Trackback | Comments(2)

make a difference

ちゃんと並びなさい。制服を着なさい。スカートの丈は○cm。靴下は白。・・・
 マス・ゲームでも始まるのか?と思ってしまうような緊張感。
  しかし、これは、北朝鮮の話ではなく、日本の話。しかも幼稚園。

自制心と集団との調和が強調され、その一方で自由を「いいかげんでもいい」と誤解していることもしばしばある。

そんなに画一的な人間を育てたいのなら、ロボットを作ればいいのでは?と思ったこともある。実際、小さな人型ロボットも発売されつつあるようだが、それはともかく...

シリコンバレーで、少し前、こんな話を聞いた。
「文部省の方が、昔々、『私たちは街路樹を作ろうとしているんです。街路樹は、背丈や格好がある程度同じで、扱いやすい。枯れたら植え替えればいい。どこかで育てておいて、必要なときにそこに持ってくればいい。アメリカのような国は、雑草を作ってるんです。なんだかよく分からない、背丈も格好もバラバラな雑草です。』と言っていた・・・」
いまもそんな考え方をしているのかどうかは知らないが、シリコンバレーでは、基礎的な教育を徹底的に課された上で、「何が、その生徒の強みなのか」ということを問い続けられる。何がすきなのか?何がしたいのか?

子供ながらに答えるので、それが正解ではないこともあるが、それでも、その子供の考えていることを認める。そして、ちょっとした他の子供との違いを褒める。「彼女は、塗り絵をするとき、他の子供よりも多くの色を使って、きれいに塗る」とか、「彼は本が好きで、学校の図書館にある本を1年で50冊読みました!」とか、大人からみればどうでもいいかもしれないことでも褒める。

他人とどこが違うのか?人は、他人と違うから存在価値があるのではないのだろうか?私はあなたと同じ、というなら、じゃあ、私でなくてもいいのね、ということになる。同じものを足しても、単なる足し算の効果しか無い。1+1=2でしかない。違いを認め合って協力することで、足し算以外の効果が出る。違うからこそ、1+1=3にすることができる。四肢がすべて右手だったら、早く歩くこともできないし、キーボードを打つのも苦労するかもしれない。すべて、違うからこそ価値があるのだ。

男女の仲だってそうかもしれない。同じような考え方というのは大切かもしれないし、楽しい時はそれはそれでいいのだが、人生、いろいろな場面があるのだから、二人して落ち込んでいるようでは苦しいことばかりになってしまう。違う考え方ができるからこそ人間であり、それで一緒にいるから、また違った楽しさが生まれるのかもしれない。

ブログ「カリフォルニア便り」で、次のような一節をみつけた。
“You can use your talent and interest to make the world better.”
子供と一緒に社会科の勉強をしているときに出会ったという一節。こんな視点をみんなが持っていると、世界はもっと面白いのかもしれない。

ブログ「ニューヨークの遊び方」では、
・・・アメリカでは自立心を育む教育・・・が学校で行われているということを書こうと思ってたのですが、もう学校に入る前から今の日本とは何かが根本的に違うみたいです・・・
と書かれていた。これは、親が、自由を当然の権利として享受するのではなく、勝ち取るべきものとして捉え、"make a difference"のマインドを持っているからだと感じる。(ちなみに、この「ニューヨークの遊び方」で紹介されていた『アレックス・レモネード・スタンド』のは一読の価値があると思う。)

ゆとり教育が間違いだったと誤るのも、日本は平和を目指すのだとアジアで謝罪するのも構わない。素直に過ちを認めることは、悪いことではない。問題はそれからだ。自由の意味を理解し、差異こそが力を生むということを理解しなければならない。

「お前、トンがってるから、気をつけろよ...」 学生時代、そんなことを言ってくれたバイト先の先輩がいた。その方には尊敬できるところがあって、私のことを考えてくれていて、よく分かってくれていてという文脈で言われただけに、本当にありがたかった。いまも、その方は頑張っておられて、生き方を見習うところがある。考えてみれば、ずーーーっと、どこか気持ちの上では日本の集団の中で馴染めないところがあったのは事実である。それでも、日本は大好きだ。

Make a difference. これを実践するために、己のことをよく理解しておくことが大切である。やってみて、やりきってみて、初めて自分のことが分かるような気がする。

私自身は、誰に何を言われようとも、これまでのスタンスを崩すことなく、あきらめずに挑戦し続けたい。それが、自分が自分である理由だから...

  by yoshinoriueda | 2005-04-22 12:52 | シリコンバレーで感じる! | Trackback | Comments(8)

FPN主催の梅田望夫さんとの座談会の様子を読んで

FPN主催の梅田望夫さんとの座談会の様子が近江商人さんのJINBLOGアップされていた。実は、私も近江商人の血をひいている・・・なんてことはどうでもいい。

一箇所、光を放っているように見えたところは、梅田さんのこの一言。

  インターネットの本質は「オーソリティって何だ?」の答えを作り直すこと

なるほど!そうとも言える、と至極納得。

新聞や本、論文でさえホントかな~?と思ってしまう自分にとっては、オーソリティの言うことを頭から信じてしまう人たちと衝突することがよくある。言っているのが誰であるかを振りかざされても、私の心は斬れない。ドライかもしれない。しかし、ある文脈の中で、ある人が、意味のある発言をしている、という条件が揃わないと、なかなか人の心は動かないと思う。

それに、世の中、何が真実なのかなんて、ホントは時代によって変わっている。オーソリティだって間違えることはある。何を信じればいいのか?もちろん、他人を信じるということも大切だが、結局、その他人を信じる自分を信じるということしかないのかもしれないとも感じる。

***

「いい歳になってブログを始めてそのことを思い出し、『何をやっていると幸せか』を思い出した。」という件もあったが、個人的には、シリコンバレーという場所が、それを気づかせる機会に溢れているような気がする。自分自身、これまでもホントにいろいろと考えさせられる機会が多かった。

人が出入りし、知識が出入りし、モノが出入りし、金が出入りするところ。そんな行ったり来たりの中にいると、自分は何者で、なにができて、なにが好きで、なにがしたくて、ということを考える機会は自然と多くなる。

日本でそれに似た場所が現時点でひとつだけある。それは、インターネットの世界。特にブログの世界だろう。モノや金の出入りは、トヨタの売上高には及ばないかもしれないし、コメントができなかったり、トラックバックできなかったりするのは、オープンな世界にはなっていないが、年齢や地位などに関係なく意見が飛び交わされる素地はあるだろう。

***

シリコンバレーは今日も快晴。空に少し雲が出ると、日差しが柔らかく感じられる。そんな空の下、また新しい一日が始まる。

  by yoshinoriueda | 2005-04-22 07:04 | いろいろ読んで考える! | Trackback | Comments(0)

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