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経済産業大臣が経済や産業の基本ルールを理解しているとは思えないこの国...おわた

原発賠償負担、電力各社リストラで…海江田氏」という記事によると、
 東京電力福島第一原子力発電所事故の賠償策を巡って、海江田経済産業相は読売新聞のインタビューで、東電だけでなく、原発を保有する他の電力会社にも資産売却などのリストラを求める考えを表明した。

 政府は東電の賠償支払いを支援する「原発賠償機構」(仮称)の新設を検討しており、電力各社に拠出金を要請しているが、この拠出金を電気料金の値上げではなく、リストラの徹底で捻出するよう求めたものだ。

 海江田経産相は機構案について、「国民負担を減らすことができるが、電力料金に跳ね返れば結局、国民負担につながる」としたうえで、「東電はもちろんだが、他の電力会社も冗費節約を徹底し、資産のかなりを売却してもらわないとダメだ。まずは(賠償)責任を負う姿勢を見せてもらいたい」と述べた。
とのこと。経済産業大臣の発言とは思えない。金融筋に操られているのか?なぜ他の電力会社まで直接的な影響を及ぼさせるのか?経営主体としては、各電力会社は別会社。電源構成が違うので、コストもノウハウも異なる。資本主義であれば、株式会社なんだから、株主は、有限の責任ですむはずだし、そんな株式会社に無限の責任を負わせてどうするんだろう?

ただ、この記事を読んでふと思い出したのが、昨日の会話。某省の人が、「東京電力は焼け太りにさせてもいい。つぶせない。」「日本として全体でこの危機を乗り切るべき。」といった発言をしていた。霞ヶ関や永田町はそういう感覚なのかもしれないが、普段の生活を営んでいる市民にとっては、未曾有の大地震と大津波によってもたらされた原子力災害の責任をすべて民間会社に負わせるというのは理解できない。そもそも、あの地震による被害を免責にしない「天災地変」とはどんなヒドいものを言うのだろう。

こんなに急いでいるのは、東電が株主総会をするにあたって財務諸表を開示する際に、賠償のスキームが固まっていないといけないといった、何らかの金融筋のプレッシャーがウラに存在しているように思えてならない。提案されている機構案は、もっと時間をかけて、本当にどうするべきかを決めるべきではないだろうか。

福島第一の被害について国全体で対応するというのであれば、国としては、機構案にとどまらず、国民にその意図を説明すべきだ。官僚は責任をとれないから、政治がやるべきだろう。しかし、政治があの体たらくでは無理。この国はおわた?と思っても仕方がないか...

東京東北以外の地域の人達は、どう感じているのだろうか...
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  by yoshinoriueda | 2011-04-30 23:36 | エネルギー・環境 | Trackback | Comments(0)

やっぱりみんなもってるんだ〜

計量分析をする人達とディスカッションしていて分かったのは、分析に対するしっかりとした知見を持っている人達は、ちゃんと分析ソフトを持っているということ。それなりにお金を出して、自分の手元で分析できるようにしているからこそ、いろいろと試してみることができ、それなりに知見も蓄えられるということか。

学生時代はFORTRANやCを使っていたが、仕事をするようになってからは、Excelの上でVisual Basicを使ってみたり、Rでプログラムを書いたりしていた。昨年、Eviewsを使ってみて、なんと便利になっているのだろう!と思っていたところなのだが、今日、久しぶりにStataを使ってみて、あらためてこういった分析ソフトの便利さを実感。

プログラミングに時間をかけるのではなく、分析することに時間を使いたいので、早速購入することにしよう〜
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  by yoshinoriueda | 2011-04-29 23:56 | 政治・経済・政策・地域開発 | Trackback | Comments(0)

「学ぶ力」も「人間力」も「とことんやり抜く」中で磨かれるのでは?!

就活生に伝わらない企業の本音 ~母と子の444日就活戦争」という記事に以下のような件があった。
■文系学生に問われる「学ぶ力」

経済産業省の「社会人基礎力に関する調査」(2005)では、企業が採用基準で重視する項目は、上から「人柄」「その会社への熱意」「今後の可能性」となっている。

「技術面接を伴う理系のエンジニアと違い、文系の学生は職務を明確に決めないまま、雇用契約を結びます。専門知識を問われない文系学生が何を見られているかというと、それが『今後の可能性』、いわば伸びしろ、ポテンシャルです」

伸びしろを形成するものは、情報収集・分析能力、論理的思考力・論述力のような、どの学問分野を学んでも身に付くはずの能力(ジェネリック・スキル:汎用的能力)。ある特定の学問分野を学んで身につく専門知識や能力は問わなくても、企業は学ぶ力、仕事をしていく中でも学び続けられる力を重視していると上西氏。

「それは実は大学での学びを通してこそ培われるものです。なのに、学生はその点を理解しておらず、ESの書き方やグループディスカッションの表層的なスキル獲得に飛びついてしまいます」

新聞を毎日読み、世の中の動きを知る。自分の研究に必要な本を自分で選んで購入する。それを読み込み、リポートや論文を書く。そんな大学生の基礎の「キ」が、就活という局面ではなく、働き始めた後の長期間のキャリア支援になるのだと上西氏はいう。

「そんな当たり前のことが…というかもしれませんが、それすらもできていない学生がたくさんいるんですよ。親は大学に入学すればそれで終わり、就職も楽にできると思うかもしれないが、そうではない。せめて新聞代を含めて月1万円の学習支援をして学生を本分に立ち戻らせてほしい」。
文系学生だけでなく、理系学生にも通じるところがあるといえる基本的なところだと感じる。

母校から同窓会の会報が届いて、卒業生の就職状況を読んでいると、就職活動の中で不合格になった学生の理由として、昨年は「コミュニケーション能力とリーダーシップの欠如」が挙げられており、今年は「非常に緊張する、耐ストレス性がない」という理由がほとんどだったとのこと。まさに基本的な「人間力」の強さが問われていると言えるだろう。

昔、ロス五輪で柔道の山下選手が優勝した際、山下選手が勝てた理由の一つとして、これまで十分に練習を積んできたから、本番でも緊張することなく、自分を信じることができたといった趣旨の話があった。

自分を信じることができるかどうかは、普段からどれだけ積み重ねているか、ということ。自分自身をごまかすことはできないので、少しでも不安があると、相手に負ける前に自分に負ける。それは相手から見れば一目瞭然。

就職活動でも同じことが起こっているのかもしれない。とことんやり抜くということをどれだけやっているか。それがその人の深みを増し、魅力を増す。「とことん」という言葉は、本当にやりきった人にだけ理解できることなのかもしれない。また、「とことん」やることで、ぶつかりあい、切磋琢磨し、人は成長するのかもしれない。そんな状態は、辛いこともある。しかし、そんな機会に恵まれたら、それはラッキーだと思わないと!

若手にはまだまだこれから先が長いし、この社会を背負っていってもらわないといけないので、奮起して望んでくれることを期待したい。
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  by yoshinoriueda | 2011-04-28 21:59 | キャリア・生き方・教育 | Trackback | Comments(0)

「アニマルスピリット」(ジョージ・A・アカロフ、ロバート・J・シラー)

a0004752_22482589.jpg遅ればせながら「アニマルスピリット」(ジョージ・A・アカロフ、ロバート・J・シラー)読了。

まず、アニマルスピリットに関する記述。
アダム・スミスの思考実験は、人々が合理的に自分の経済利益を追求するという事実をきちんと考慮している。もちろん人々はちゃんと考える。でもこの思考実験は、人々は経済以外の動機でもかなり動くという事実を考慮していない。そして、かれらが不合理だったりまちがった方向に見響かれたりするということも考えない。つまりアニマルスピリットを無視しているのだ。・・・
科学的というのは、行動が最大化の原理から導かれるべきだという意味だ。また、アニマルスピリットなど出る余地があってはならない、という意味だ。
人は合理的に動くとは限らない、という当たり前の事実を、アニマルスピリットとしている模様。次に資本主義に関する記述。
資本主義の収穫には少なくとも一つ、欠点がある。それは人々の本当に必要とするものを自動的に作りだしてはくれないということだ。資本主義が作るのは、人々が必要だと思っているものだ。
なるほど。ちなみに、会計士についての記述は以下のとおり。
会計士は落ち着いた人格と正直さで実に有名だ。会計士の人格についての心理学調査によれば、かれらは天性からして「事実や細部」を重視し「懐疑的で批判的」であり「安定して秩序だったかたち」で働くのが好きだという。かれらもまた資本主義の英雄たちだ。かれらは資本主義の西部の荒野における、冷静沈着な保安官たちなのだ。
天性からして、というところまで言えるのかは疑問だが、監査業務をしていると、そんな特徴を持つようになるかもしれない。

ちなみに、トヨタの成功と、満州事変に関する記述および、真似をよしとする考え方に関する記述は以下のとおり。
トヨタの創業は、個人の大胆さが伝統的な常識に勝利した見事な例だ。ある意味でそれは、日本をまちがったかたちで1931年に満州侵略へと押しやった、楽観主義と愛国心を繁栄したものだったとも言える。

だがこの種の自信過剰は、日本文化にしばらく前から見られるようになっていた。それは特に福沢諭吉が発展させた国家哲学の一部となっていた。福沢諭吉は現代日本の創始者の一人とされる。かれは自立と外国から学ぶことについての物語を奨励し、外国の成功を精力的にまねても恥ずかしいことは何もないと論じた。他人のまねを、日本人の創意と知性のシンボルにしたのが福沢だ。
もしかしたら、今の時代、この種の自信過剰が日本には求められるかもしれない。

連歌と大企業に関する考察。
俳句が現在のような形で生まれる前に、日本の文芸には連歌なる運動があったと池上は述べている。これは多くの詩人による長い詩で、それぞれの詩人は独立して俳句になるような一部を持って貢献するだけなのだが、でもその一部は、全体の中の一部としてのみ評価されるのだ。比喩的にいえば、日本の大企業はこうした連歌なのである。
大企業で働いている人は、連歌のようだという感覚などないと思うのだが(笑)、そうみえるとすれば面白い。

ま、読み物としては面白い部類かもしれないが、夢中にはなれそうにないかも(^^;;
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  by yoshinoriueda | 2011-04-27 23:28 | 政治・経済・政策・地域開発 | Trackback | Comments(0)

市場メカニズム、民間の活力を信じない環境省。経済産業省が同じことをやってたら「経済統制省」?!

日本大震災を踏まえた オフセット・クレジット(J-VER)制度の暫定的な運用について」(pdf)という平成23年4月22日に環境省が出した文書を見て愕然
( ゚д゚)ポカーン
オフセット・クレジット(J-VER)制度は、国内の温室効果ガス排出削減・吸収プロジェ クトによる排出削減・吸収量をカーボン・オフセットに用いる信頼性の高いクレジットとし て認証する制度であり、今後ともエネルギー起源 CO2 の排出削減活動を通じ地域のエネル ギー需要への対応等にも貢献していくこととしているが、今般の東日本大震災による電力需 給の逼迫状況にかんがみ、暫定的な措置として、同制度における東京電力・東北電力から供 給される系統電力を使用するプロジェクトについて、当面以下のとおり運用するものとする。

1.実施により系統電力需要減となる又は実施方法によっては系統電力需要増が見込まれた としても軽微な方法論を用いるプロジェクト

: 当該プロジェクトの実施者に対し、可能な限りの節電の励行を呼びかけつつ、従来どおりオフセット・クレジット(J-VER)認証委員会(以下「認証委員会」という。) で審議を行う。

2.被災地域のエネルギー需要に応えることにより復旧、復興にも寄与すると考えられる方法論ではあるが、実施方法によっては相応の系統電力需要増の可能性があるもの

: 当該プロジェクトの実施に当たり、可能な限りの節電の励行が計画されていることの文書の提出を求め、その内容を事務局が確認することとする。その後、認証委員会 での審議は従来どおり行う。

3.動力源や熱源等を化石燃料から電力に代替することによって相応の系統電力需要増の可 能性がある方法論であって、上記「2」以外のものを用いるプロジェクト

: 当該プロジェクトについては、当面、認証委員会での審議を見合わせることとする。
ヽ(´o`; オイオイ

設備投資すれば経済は上向く。というか、増電力でも省エネになるヒートポンプなどがあれば、それはそれで投資は進んでいく。今の時勢でも、増電力でも省エネ・省コストでやりたいというなら、それも結構ではないのか?

何を選択するかは民間に任せるべきだろう。なんで国や認証委員会がそんなことに口出しするのか?使われない方法論があれば、それはそれ。市場メカニズムで淘汰されたらいいのに。

そういう民間の自主性や活力を重視しない、使うことができないというのが、日本なのか?市場メカニズムの放棄?!排出量取引制度を導入しようと躍起になっていた環境省が市場メカニズムを信じること無く、こんな暴挙に出るなんて、自分がやっていること、分かってるのかな?

あるいは、事務局の保身のためか?あとで、後ろ指を指されたくないからか?官僚組織ならありえる。

いや、もしや、環境省だからか?経済のことなんて、ビジネスのことなんて全く分からないからか?

まさか、経済産業省が、国内クレジット制度で、同じようなことをしないだろうなぁ...というか、そんなことをするのなら、「経済」とか「産業」とかついている省の名前をかえるべき。経済統制省とかになったりして?!

ありえる話だからこそコワイ...(((;゚Д゚)))
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  by yoshinoriueda | 2011-04-26 22:14 | エネルギー・環境 | Trackback | Comments(2)

福島第一の事故が教えてくれる現場力の大切さ

現場の力、現場の知を活かすというのは、概念としては分かるけれど、いざ、実践するとなると、なかなか難しい。今回の福島第一の事故も同じかもしれない。

日経ビジネス2011.4.25号のp23に「度を過ぎたマニュアル管理が現場力を低下させている」という指摘。
あまりにがんじがらめにすると(不祥事が)潜りますよ
という指摘を経済産業省にしたのは、坂元浩治・関西電力労組副委員長。確かに、原子力の現場では、「ちょっとしたトラブルで数ヶ月間、書類作成に追われる状況」なのかもしれない。そんな中で、強い現場力が養われるだろうか。

2011.4.20の日経新聞には、野中郁次郎氏の言葉が紹介されていた。
現場よりも分析を重んじる米国型の経営が勢いづく中で、現実を知り抜いた人が日本企業の組織の中心に少なくなっていた。その意味で企業組織が全体として脆弱になっていたことは否めない。
原子力の現場では、もしかしたら、分析好きの官僚がたくさんいそうな経済産業省の行き過ぎた指導がマニュアル主義を助長し、応急措置が適切に行われていなかったのかもしれない。

では、危機の際にはどう対応したらいいか。それは平時から鍛えられている現場の力が活きるだけであり、もはやそこでトップがリーダーシップを発揮することはできない。2011.4.21の日経新聞に紹介されていた新日鐵の三村会長の言葉がそれを物語っている。
危機になってリーダーが力を発揮するというのはとんでもない。平常時にどんなリーダーであったかが危機のときにはっきりするということだ。...日ごろから現場を鍛え、信頼し、彼らのやることを認める体制ができていれば命令しなくても現場が見事に対処するものだ
これこそ、高いレベルの現場のリーダーの言葉だろう。

福島第一の事故は、いろいろなことを教えてくれているような気がする。
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  by yoshinoriueda | 2011-04-25 22:38 | 思うに・・・ | Trackback | Comments(2)

和膠の滅亡?!ま、バッサリ前向きで行こう〜!

昨日の日経新聞の文化面に、日本画の接着剤となる和膠(わにかわ)が生産中止となり、業界関係者に不安が広がっているという話が掲載されていた。記事では、高齢化や所得低下など、他の伝統産業の担い手減少と同じ問題があるとのこと。

普段、家で目にする三千本膠(さんぜんぼんにかわ)がもはや手に入らなくなる事実はショックなことだが、もはや慌てても仕方がないと泰然自若としている日本画家である家人ヽ(´o`;

曰く、
滅びゆくものは、仕方がない。それを取り合っても仕方がない。

無いなら無いで書き方を変えるしかない。そこが腕の見せ所。
なんという達観。一気にここまでバッサリと行くか?!

ま、この精神を見習って、バッサリ前向きで行こう〜!
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  by yoshinoriueda | 2011-04-24 22:30 | POP・movie・スポーツ | Trackback | Comments(0)

まだまだこれから!という意気込みで前に進もう。未来はその先にしかないんだから。

おちまさと氏のブログの「今最も必要な「言葉」とは何か。」というエントリーがtwitterで話題になっている。
「日本は終わっちゃったのかな」

「バカ野郎。まだ始まっちゃいねーよ」
「まだ始まっていない」、すなわち、「まだこれからじゃないか!」という言葉が今必要だという。

世界は言葉で変わるのか?それとも...」というエントリーで、言葉は世界を変えるかもしれないけれど、行動こそ大切だという話を書いたが、おちまさと氏のブログを読んで、「日本もいっそ途上国としてやり直しませんか〜♪」というエントリーも悪くないと自画自賛。

「まだ始まっていない」ということは、これから始まるということ。「日本はまだまだこれからなんだ。少子化・高齢化は深刻な問題だけれど、だからといって、終わったわけではないんだ。だから、謙虚になりつつ、自信をもって前に進むべきなんだ。」そういうこと。

昨夜、宴席が終わって、ビルの外に出ると、木々に光のイルミネーション。東京から来た人は、「節電している東京への当てつけか何かですか?」と笑いながら言っていたが、「関西が全力疾走しないと日本は前に進めないじゃないか!」と返しておいた。

「まだ始まっていない」ということで、もう一つ思いだしたのは、先日のタイでの気候変動枠組条約特別作業部会(AWG-LCA)の議論。会議がオープンしたのかと思いきや、全然議論が進まない。最後の最後まで議題が決まらなかった。そんな状況を見ていて、「会議、openしたんだっけ?」「openしてないんだったら、closing plenaryの"close"ってのはないよなぁ〜」と思っていた。

それはともかく、この1週間の間に、会社のトップと話をする機会があったが、その時に感じたのは、トップがぶれずに、しっかりと前を見据えて進んでいこうという意思を持ち続けているということがいかに大切かということ。社外の環境が大きく変わる中、組織が果たすべき使命のために、変えてはならないもの、変えなければならないものを見極め、それをしっかりと組織の中に伝えていくということは、とても大切だと感じた。そして、「まだまだこれからなんだから」というトップの意気込み、覚悟のようなものが伝わってきた。

楽観的かもしれない。情報が限定的で正しいかどうかさえ分からない。それでも、判断を下し、前に進んでいく。経験と知識、情熱と勇気。言葉にすると抽象的すぎるけれど、そういったものを総動員して、これからも前に進んでいこう。未来はその先にしかないんだから。
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  by yoshinoriueda | 2011-04-23 12:33 | 思うに・・・ | Trackback | Comments(0)

世界は言葉で変わるのか?それとも...


アメリカとヨーロッパからの訪問者を交えて気候変動問題に関するディスカッション。このままでは議論がまとまるとは思えないという見解は一致。事態を打開するには、
leadership by example
が必要ではないかという考え方は、あまりにも現実的すぎるだろうか。日本語で言えば、山本五十六の
やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ
といったところか。

気候変動問題対策として、いまできることは、実際にプロジェクトを動かすといったことしかないというのは現実。しかし、国際交渉の現場を見ていると、耳障りのいい言葉が会場の中で空虚に響いているだけ。

言葉で世界は変わるのか?

そんな疑問にちょっと答えてくれるかのようなショートフィルムがあった。



言葉で世界は変わるのかもしれない。しかし、それは、共感を生み、行動を促し、そして、実際に行動してくれる人達がいなければならない。

しかし、国連の気候変動交渉については、そもそも共感がない。相互に信頼がない。だから何も決まらないし、何も始まらないし、世界を変えるきっかけをつくることもできない。

気候変動に関する国際交渉に従事している人達にとっては、議論を重ねることが仕事であり、それが永続的に続くことこそ、彼・彼女たちの生活につながる。だから、気候変動問題を解決しようというインセンティブよりも、議論を続けるというインセンティブの方が強い。

さらに事態を複雑にしているのは、議論の仕方の違いである。

途上国の交渉屋は、一般的・普遍的なことがらから個別のプロジェクトを導きだすといった演繹的な手法の魅力にはまっている。確かに、体系だっていて、整然としている。強制的な権限が伴う公権力の世界ならではの発想だろう。しかし、それは、国連の中では通用しても、一般社会には通用しない。

一方で、アメリカや日本は、どちらかというと、個別の事例を積み上げて、一般的・普遍的なことがらを見いだしていく帰納的な思考パターン、行動パターンをとろうとしている。「できることからコツコツと」という精神。

地球環境問題、気候変動問題は、こんな国連内での対立の解消を待ってくれない。

今、ビジネスの世界でできることは、やはり、事例を積み重ね、そんなこともあるのね〜と気づかせることが大切なのかもしれない。市民活動でも公的機関による取り組みでもできるけれど、ビジネスとして取り組めば、それはもっと効率的に、もっと上手にできる。

そんなことを再認識した一日だった。
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  by yoshinoriueda | 2011-04-22 23:59 | エネルギー・環境 | Trackback | Comments(0)

日本もいっそ途上国としてやり直しませんか〜♪

二流国転落を論じられる日本」という記事では、
清華大学の袁鋼明教授は、日本経済の行く末に悲観的な見方を示す。「1990年代のバブル崩壊は日本経済のタ-ニングポイントとなり、日本経済はこれ以降『失われた20年』に突入した。そしてこのたび発生した大地震は再び日本に大打撃を与えた。日本経済はこれで再起不能となり、長期的な不況に陥り、日本は二流国家となるだろう」
a0004752_22522378.jpgと述べられているが、すでに「途上国化する日本」という本が出版されている。著者は、スタンフォード大学で経済学のPhDを取得した東京大学新領域創世科学研究科国際協力学専攻の戸堂康之准教授。

1995年には、名目GDPでアメリカやイギリスを抜いたものの、バブル崩壊後停滞し、2009年にはアメリカの8割5分になっているという。しかし、「名目GDP」で比較していていいのかという疑問から、一人当たりの購買力平価調整済みGDPで比較すると、日本はバブル最盛期でもアメリカを追い抜いたことはないということが見えるという。なぜこのようなことになっているかというと、為替の関係で、名目GDPが大きくなっていただけだだと著者は言う。

また、技術レベルについても言及している。工学的技術だけでなく生産効率を向上させる工夫や経営的な技術を含む「全要素生産性」で比較すると、現在の日本は、アメリカの7割に満たない程度、イギリスの8割程度だという。

著者は、日本が、実は輸出依存度も低いのだということも統計的に示している。ただ、そんなことがもっとも重要なのではなく、むしろ世界経済に対して閉鎖的であることが問題だという。すなわち、輸出が足りない、海外への投資が少ない、海外からの投資が少ないという。

ではどうしたらいいのか。筆者は、日本が再生し、飛躍するにはグローバル化するしかないという。以下、本書から、主張を抜き書きしてみることとする。

民主党政権は、2009年末に発表した「新成長戦略」において「需要からの成長」を提唱している。しかし、需要は長期的には経済成長の源泉とはなり得ない。(p37)

国民の所得が増大し、経済を成長させるためには、あくまでも技術進歩による生産性の工場が不可欠

1960年頃にノーベル経済学賞受賞者のロバート・ソローらによる新古典派成長論が興り、長期的な経済成長の源泉が技術進歩にあることを明らかにした。(p38)

1980年代後半以降にポール・ローマー(スタンフォード大学)らによって内生成長論と呼ばれる経済理論が発展し、技術進歩のプロセスの解明が進んだ。特に、1986年に発表されたローマーの論文では、技術レベルは研究開発活動によって向上すると考えられている。ただし、「技術」を科学技術だけではなく広い意味でとらえたように、「研究開発」も基礎研究、応用研究、開発や設計と行った本来の意味での研究開発だけでなく、生産性の向上のためのQC活動や、よりよいマネジメント手法などをも含んだ広い概念である。

このローマーの理論で最も重要な結論は次の2点である。第1に、政府が介入して補助金や優遇税制によって研究開発を奨励すれば、技術進歩が促されてより望ましい経済成長が達成される。(p39−40)

新しい技術・知識をただ乗りして利用されてしまうことから、研究開発に対する潜在的な意欲は阻害されている。だから、政府が介入しない市場経済においては研究開発が十分には行われない。そこで、研究開発を政策によって補助して奨励する必要がある。つまり、研究開発については政策の介入が正当化されているのだ。(p40)

第2の重要な結論は、人口規模が大きい方が経済成長率は高いということだ。(p42)

ジョナサン・イートン(ニューヨーク大学)らは、・・・G5ですら自国の技術進歩の多くを外国の研究開発に依存していたことがわかった・・・1990年には日本の研究開発がアメリカの技術進歩の20%、イギリス、ドイツ、フランスの約30%を担っていたことを示している。・・・世界各国は互いに技術を伝えあってともに繁栄しているのだ。そのネットワークから孤立してしまっては、世界から取り残されてしまう。(p45−47)

輸出・対外直接投資は生産性を高める(p51)

企業がグローバル化しやすい経済環境を整えることに政策の重点が置かれるべき・・・政策は3つ考えられる。1つは、関税や数量規制などの貿易障壁や、直接投資の流入・流出に関する規制の縮小・撤廃・・・もう1つは企業に対するミクロ的な政策・・・海外の市場や制度に関する情報の提供や、グローバル化のための金融支援・・・最後は、国内の規制を緩和し、競争を促進し、企業の新陳代謝を促すことで、間接的にグローバル化を促進する政策である。(p130)
というわけで、FTAやTPP賛成派という感じ。また、面白いのは、次のような件。
日本人は農耕民族だから共同体に依存して閉鎖的になってしまう、という考え方を聞くこともあるが、これも間違いだ。そもそも、西欧人を含めて人間はほとんどが農耕民族である。狩猟民族だった人間が約1万年前に「農業」という革命的な技術を開発し、そのおかげで狩猟よりもはるかに多くの食料を生産することができるようになったことで、人間は飛躍的な発展を遂げた。日本人だけが農耕民族で、世界の他の民族をすべて狩猟民族とみなすのはあまりにもおかしな考え方だ。

しかも、農耕民族が閉鎖的というのも間違いだ。・・・農耕によって多くの食料を生産することができたマオリ族は、富を蓄積し続けて、とうとう海を越えて(その日暮らしが精一杯で、外へ出て行くだけの富を蓄積することができなかった狩猟民族の)モリオリ族を侵略することができた。だから、日本人は農耕民族だから閉鎖的であり、グローバル化に向いていないという議論は全くあてはまらない。

では、江戸時代の長期にわたる鎖国が日本人を内向きにしてしまったのか。これについては、その可能性も否定できない。・・・たった200年間の鎖国という制度が日本人を極端に閉鎖的にしてしまったとは思われない。

結論。日本人には、リスクを恐れず海を渡った先人たちの血が流れている。決して本質的に閉鎖的なわけではない。(p102−104)
ここは、実証分析の結果をもとに述べているのではなく、著者・戸堂氏の日本人を信じる強いメッセージが込められているような気がする。

さらに、最後にアントニオ猪木が引退式で語った言葉が引用されている。
「迷わず行けよ、行けばわかるさ。」
うーん、なかなか味わい深い〜♪

日本はもはや先進国だとかGDP3位だとか言ってる場合じゃない。いっそのこと、これからまだまだ発展する「発展途上国」だという意識を持つことで、もっとのびのびと、前を向いてやっていけるのではないだろうか。

小さな小さなプライドにしがみついて、小賢しいことばかり考えているのではなく、まずは、自分達がおかれている足下をしっかりと見つめ直す。

そして、地に足の着いたところから勇気をもって一歩踏み出していく。

成長や飛躍は、そういう人達のやる気とそれを後押しする政策的な措置、そして、これまでに国際的な協力を惜しまなかった日本と日本人によって築かれた「日本」に対する世界からの信頼・ブランドなのかもしれない。これを活かしていくっきゃないでしょ〜♪
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  by yoshinoriueda | 2011-04-21 22:37 | 政治・経済・政策・地域開発 | Trackback | Comments(0)

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