インフラ、エネルギーの分野で「クールさ」という付加価値を訴求できるか?
2010年 10月 26日
インフラの世界、例えば、エネルギーの世界に「クールさ」や「かっこよさ」はあるか?エネルギーの世界は泥臭い世界だ。「クールさ」とか「かっこよさ」などとはほど遠い。光ファイバーのインフラでもそうであるが、吉野家の牛丼と一緒で、「早い、安い」が消費者の選択を左右する。「途切れない」ことは大前提であり、そこを議論する余地すらない。「途切れさせない」ということは、インフラ産業に従事する人たちの全力で守っている価値であり、誇りであり、やりがいであり、そういった使命感に支えられているものである。
それは、消費者には理解されにくい。例えば、電気が途絶えて苦労するといったことがない限り、インフラのありがたさは分からない。一度や二度そんな経験をしたとしても、人間はすぐに忘れてしまうので、普段はそのありがたさを感じることはない。だから付加価値を感じにくい。現政権与党の関係者の中には、電気は途絶えてもいいという考え方の人もいるようなので、そうなってくるとこれは価値観の問題になる。民主党としては、日本は「電気やガス、通信といったものが時々途絶える」というような国を目指せというのだろうか。太陽光発電などの固定価格買い取り制度が導入されると、国民も産業も、徐々に徐々に負担にあえぐ方向に進んでいくが、政治献金に関するマニフェストを変更したように、環境関係の政策についても、事実や他国の先例をしっかりと見た上で、柔軟に判断すべきではないだろうか。
さて、電気という財に注目すると、石炭や石油、天然ガス、原子力、太陽光、風力、地熱などさまざまな燃料をもとに、電気というものを作り出すことができる。それらをいかに組み合わせるかが「途切れさせない」ためのひとつのカギである。ただ、電気の特性として、廉価に「貯められない」ということがある。もし電気を廉価に貯めることができれば、「途切れさせない」ための苦労は格段に減るだろう。しかし、残念ながら今の人類の技術レベルでは、それは実現していない。電池関係の技術者が、イノベーションを起こしていないのかというとそういうわけでもないと思うが、それでもやはり、まだまだ電力系統に比するまでの低コスト化は実現されていない。
そんなエネルギーの世界で、「クールさ」が付加価値となる世界はあるのだろうか。電気の世界でいえば、例えばIHクッキングヒーター、ガスの世界でいえば、例えばガラストップコンロであろうか。IHクッキングヒータのフラットな表面はガス器具に比べて断然掃除がしやすい。目にもきれいですっきりと写るので「かっこいい」。しかも、オール電化住宅にすると平日の10時から17時を除いて電気料金が割引される上に、深夜電力でお湯を沸かしたり洗濯したりすることで、さらに割安な深夜電力料金が適用され、さらにさらにお得になる。(参考:オール電化はとっても経済的! 【関西電力 オール電化情報サイト でんかライフ.com】#title_04)「かっこよさ」に加えて「お得さ」があるから、クールで賢い消費者の中には、オール電化を選択する人もいるだろう。
「クールさ」など、付加価値に訴求して売っていくには、「マーケティング」が必要となる。消費者のニーズをとらえ、商品を開発し、機能ではなく、スタイルを訴える。これは一般消費者には通用しそうだが、産業用や業務用の分野では難しい。ヒートポンプ給湯機など、高効率な機器はあるが、産業用や業務用で必要となるのは、お湯や蒸気であり、コストメリットであり、機器ではない。だから「クールさ」「かっこよさ」で訴求するのは難しいのだ。
最近は、「グリーン電力」といったものでお茶をにごしている企業もあり、それに便乗して「生グリーン電力」なーんてものまで出てきている始末だが、それは、そのビルなどの施設を利用する人にとっては、直接的にはコストを上げているものであり、利用料のようなものに跳ね返るだけである。電気には環境価値が内在されてきた。グリーン電力という考え方は、この環境価値を無理やり外出ししたものであるといえる。これはブームなのか、それとも今後も増えていくトレンドにあるのか。
環境に価値を見出す、すなわち、多くの二酸化炭素を出して作った電気より、少ない二酸化炭素で作った電気のほうが高いということで、消費者がそれを選ぶなら、それは「増えるトレンド」に乗っていくだろう。しかし、消費者は、電気が欲しいわけではない。「電気をつかって出来ること」が欲しいのである。例えば、冷暖房であり、給湯であり、調理であり、インターネットや電話などによるコミュニケーションであり、テレビやゲームのような娯楽などである。同じ値段で手に入るなら、電気は少ない二酸化炭素で作ったもののほうがよい。ただそれだけである。それは電力会社の自助努力でやるものであって、自分が余計な支出を増やしてまで、二酸化炭素を減らしてほしいと思っているわけではない。
電力会社は、より少ない二酸化炭素で電気を作ろうとしている。それは、そうしたほうが、省エネメリットが出て、省コストにつながるからであろう。環境政策が入ったから、あるいは入るからといって、低炭素な電気を作るというわけではなく、すでに低炭素な電気を作ろうとしている。環境政策では低炭素な電気を大量に作ることにはつながらない。格段に低コスト&低CO2で発電できる技術こそ、低炭素な電気を大量に作ることにつながるのである。そんな現実から遊離した議論が政府や学者の間でなされている。
環境政策について深く知れば知るほど、そんなバカらしさが見えてきて、なんて無知で不毛な議論がなされているんだろうと感じるようになった。と同時に、このままほっておいたら、トンデモないことになる。なんとかして、この流れを止めなければならない。なんとかして、もっとまともな議論がなされるようにしなければならない。そして、それは、今、自分に出来ることの一つであると感じる。たとえ、それが何の影響力もないとしても、訴え続けることをやめてはいけないのだろう。そう自分に言い聞かせることにしよう。
で、結局、エネルギーなどのインフラ分野で「クールさ」という付加価値を訴求できるのか?それは、もう少しいろいろな人と会い、ディスカッションしながら深めていきたいと思う。