世界は言葉で変わるのか?それとも...


アメリカとヨーロッパからの訪問者を交えて気候変動問題に関するディスカッション。このままでは議論がまとまるとは思えないという見解は一致。事態を打開するには、
leadership by example
が必要ではないかという考え方は、あまりにも現実的すぎるだろうか。日本語で言えば、山本五十六の
やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ
といったところか。

気候変動問題対策として、いまできることは、実際にプロジェクトを動かすといったことしかないというのは現実。しかし、国際交渉の現場を見ていると、耳障りのいい言葉が会場の中で空虚に響いているだけ。

言葉で世界は変わるのか?

そんな疑問にちょっと答えてくれるかのようなショートフィルムがあった。



言葉で世界は変わるのかもしれない。しかし、それは、共感を生み、行動を促し、そして、実際に行動してくれる人達がいなければならない。

しかし、国連の気候変動交渉については、そもそも共感がない。相互に信頼がない。だから何も決まらないし、何も始まらないし、世界を変えるきっかけをつくることもできない。

気候変動に関する国際交渉に従事している人達にとっては、議論を重ねることが仕事であり、それが永続的に続くことこそ、彼・彼女たちの生活につながる。だから、気候変動問題を解決しようというインセンティブよりも、議論を続けるというインセンティブの方が強い。

さらに事態を複雑にしているのは、議論の仕方の違いである。

途上国の交渉屋は、一般的・普遍的なことがらから個別のプロジェクトを導きだすといった演繹的な手法の魅力にはまっている。確かに、体系だっていて、整然としている。強制的な権限が伴う公権力の世界ならではの発想だろう。しかし、それは、国連の中では通用しても、一般社会には通用しない。

一方で、アメリカや日本は、どちらかというと、個別の事例を積み上げて、一般的・普遍的なことがらを見いだしていく帰納的な思考パターン、行動パターンをとろうとしている。「できることからコツコツと」という精神。

地球環境問題、気候変動問題は、こんな国連内での対立の解消を待ってくれない。

今、ビジネスの世界でできることは、やはり、事例を積み重ね、そんなこともあるのね〜と気づかせることが大切なのかもしれない。市民活動でも公的機関による取り組みでもできるけれど、ビジネスとして取り組めば、それはもっと効率的に、もっと上手にできる。

そんなことを再認識した一日だった。
by yoshinoriueda | 2011-04-22 23:59 | エネルギー・環境 | Trackback | Comments(0)

清涼剤はSilicon Valleyの抜けるような青い空。そして・・・


by yoshinoriueda
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