3.11以降、ものごとの「価値」は変わったのか?!
2011年 09月 06日
果たして、ビジネスを取り巻く環境は、3.11以降、大きく変わったのだろうか?そして、それによって、ものごとの「価値」は変わったのだろうか?
いまだに3.11以前の決め事に固執する面々がいるかと思えば、すでに風景は変わってしまっていると見る面々もいる。見える風景は、自分が見たいようにしか見えないので、どういう観点、どういう立場から物事を見ようとするかで、考え方は変わってしまう。
現在は、まだいろいろな意見が錯綜している。もはや何が正解か、分からない状態。そんな中、一つ言えることは、周りの環境が変われば、ものごとの価値というものは変わってしまうのであり、それは価値観の変化となって現れるということ。
3.11があっても、ものごとの価値は変わらないし、変わってないんだと考える人にとっては、すべての出来事は一過性に過ぎないと考え、振り子が戻るように、また元通りに戻ると思うのかもしれない。そういう人は、おそらく、3.11を受けいれず、当事者意識を持つこともないのだろう。
たった1回きりの出来事でも、全てが変わってしまうんだというふうに考える人にとっては、3.11もそれなりに意味があり、それを受けいれ、そして、いずれ前に進んでいく、ということになるのかもしれない。それは当事者であればあるほどそう感じるのかもしれない。
問題は、この両者が、自分の立場だけを信じて、他の立場を受け付けなくなるということにあるのかもしれない。どちらの立場もありえるのだということを理解した上で、お互いの立場を受け入れていくということ、それが大切なのかもしれない。
どちらがいいかということは言えないし、後になって、やっぱりこっちのほうがよかったということはあるかもしれないが、個人的には、たった1回きりの出来事でも、全ては変わりうるし、それによって価値観が変わり、価値も変わるということだってあり得ると思う。それがいいかどうかは別にして。
たとえば、シリコンバレーのような場所は、まさにそんな出会いの連続。空想や想いだけではなく、しっかりと技術に根ざした議論がなされ、技術のあり方や技術そのものを理解した上で、しっかりとした議論がなされる。そのような中から生まれた偶然を楽しみ、そこからいろいろなことを展開していく。そんな思考パターンのほうが面白いし、楽しいと感じてしまう。
今、巷には、技術のすごさも限界も分からず、素人が勉強もせずに議論していることが溢れかえっていて、まともな議論が雑音に消えてしまっている。そんな日本を見ていてとても悲しいし、とても寂しいし、とても憤りを感じる。
いつまでも変わらないものなどない。だからきっと3.11以降、ものごとの価値は変わっているのだろう。それは目に見えないかもしれないけれど、きっと変わっているのだろう。今はただ、それを受け容れ、それを楽しみ、それをありがたく思うしかないのかもしれない。そして、次に向かって進んでいこうと思う。