サラダボールのようなアメリカ社会と「棲み分け」
2004年 12月 15日
それでもやっぱりアメリカ社会には完全に溶け込む事はできないように思います。という件(くだり:文章の一部)がありましたが、私もこれに似た感覚を体験しているのだろうなーと感じました。
アメリカは、人種の坩堝(るつぼ)だといわれていましたが、最近は、中の具が完全に交じり合わない「サラダボール」だと表現されることも多くなっています。Googleで検索してみると、「Departure Oral Communication Ⅰ Lesson 12」というページでは、以下のような件を見つけることができました。
・・・「るつぼ論」は、多種多様な民族が平等に融和して新しい「アメリカ人」として統合されていくべきだ、という理想主義的な考え方で、民族に関する「融和論」です。また、「アメリカ人と円滑に働く方法」というページ(PDFファイル)の中には、このサラダの具に「ドレッシング」をかけることで味をなじませるという考え方が紹介されていました。
他方、民族集団の規模の大小を問わず、それぞれの民族の伝統文化や価値観を平等に認めながらも、各民族の持ち味を生かして、アメリカ社会全体を調和のある豊かな国にしていこうとする考え方は、文化多元主義と呼ばれます。この考え方は、それぞれの野菜の持ち味を生かして、全体として美しいサラダを作ると言う意味で、「サラダ・ボール論」とも呼ばれるようになったのです。・・・
民族は、融和することができるのか?これは大きな問題であると感じます。現在日本で放映されているアニメ「GUNDAM Seed Destiny」でも、この問題がテーマの一つになっているようです(いきなり、アニメの話に飛んでしまいました・・・(^^;)。いずれにせよ、現時点では、「融和には無理があるから、文化多元主義を採らざるを得ないのかもしれない」というのが実感です。今西錦司氏は、「棲み分け」という考え方を示しましたが、まさに、コレを活用する時代なのかもしれません。
参考サイト:今西錦司の世界
ビジネスにおいても、実は同じことが言えるような気がします。過当な競争を避け、いかに棲み分けるか。ニッチ戦略というのは、このようなことを意味しているのだと思います。シリコンバレーは今日は霧の中にあります。ラジオでも"Valley in the fog"と表現されていました。そして、この霧の中、多くのベンチャー企業が生き残りを賭けて、活動しているのかもしれません。