卒業とは...
2005年 03月 29日
娘 「だって、将来、インドに職探しに行くのは嫌だもの...」
今日の Wall Street Journal によると、こんな会話がシリコンバレーでは行なわれているらしい。アメリカでは、近い将来、エンジニア不足になると危惧されている。日経エレクトロニクスかなにかの記事には、「将来、子供にエンジニアの道を勧めない」というようなエンジニアの声が掲載されていたのを目にしたような記憶があるので、日本でもエンジニアのキャリアを避けようとする方向は同じなのかもしれない。
エンジニアになるためには、基本的に数学的な考え方は必須といってもいいかもしれない。ここが弱ければ、すべてが成り立たない。そんな当たり前といえば当たり前のことをしっかりと認識しているのが、もしかしたら、アメリカの高校なのかもしれない。
同じく Wall Street Jounal によれば、テキサス州では、2008年から、高校卒業資格が厳しくなるとのこと。こんなふうにして、高校を卒業するということが大学での学習の基礎を保証するというサイクルができるならば、将来的には地域の活力も出てくるのかもしれない。もちろん、時間はかかるだろう。しかし、このような地道な取り組みこそが、本当は求められていることなのかもしれない。日本では、ようやくゆとり教育路線は見直される模様。(まだ「雰囲気」だけなのだろうか?)高校卒業資格を厳しくしようなどという発想はないだろう。
アメリカでは、学校教育の現場から、能力主義が入っている。自分に合ったレベルのクラスをとるのは、ある意味、当然。人間、能力に差があって当然なのだが、それを自然に実現しているように見える。日本では、能力の差と機会の差が同じようにみなされていて、どうにも窮屈である。そんなことを感じるのは自分だけだろうか...
3月は卒業の季節。単に、「時間が過ぎたから卒業」なのではなく、「何かをマスターすることができたから卒業」というのが本来あるべき姿なのかもしれない。自分は、いつ、何から卒業できるのだろう。部屋の整理をしていて、先日、旅の途中に立寄ったときに撮った写真の中に、卒業式に向かう(?)女性の姿らしきものを見つけ、ふと、そんなことを感じた。