「悪い戦略」になりゃせんだろか...いや、「良い戦略」にせなあかんねん...
2020年 05月 10日
悪い戦略では、目標が多すぎる一方で、行動に結びつく方針が少なすぎるか、まったくないということなのだが、現在の中期経営計画は、策定時に横から関与していたものだが、たしかに「目標」のようなものが多い。しかも、
会社という複雑なシステムはてんでんばらばらに動こうとする傾向があるという言葉にあるとおり、それぞれの部署が、自分たちの功績のために、また、自分たちの権益拡大のために奔走している。そして、
戦略を転換し資金や人材やエネルギーや注意をどこか一カ所に集中しようとすれば、会社そのものに倒産の危機が迫っているようなときは別として、必ず不利益を被る人が出てくる。したがってこの人たちは、戦略の転換に頑固に反対する。大きな企業の場合、これは避けられない事態と言える。戦略についての話し合いがいくら行われても、どれほど説得されても、この人たちは変化を望まない。ということがまさに発生している。
この4月に、
まず会社にとって最も有望な機会は何かを、見つけることを目指して、新たなチームが立ち上がり、そこにも「併任」という形で関与することになったのだが、
調査でわかったことはすべて経営チームで共有し、検討するというプロセスにいまだに至っていない。むしろ、議論の場から疎外されているところすらある。
変化のうねりがやって来るときには、戦略がモノを言うということでそれを考えるためのチームを立ち上げたのはいいのだが、まず、これまでに考えてきたことを共有しようということで、資料だけは共有したが、その後、議論がなされるわけでもなく、「専任」となった人たちが「検討」を進めている。らしいのだが、実際、どのような思いで、どのような議論をして、どのようなことをしようとしているのか、共有されていない。共有できないような生煮えの状態なのかもしれないが...
知識の限界でうろうろしているとき、確実にうまくいく戦略を要求するのは、科学者に確実に真実である仮説を要求するのと同じことだ。これが理不尽な要求だということはおわかりいただけるだろう。良い戦略を立てることと、良い仮説を立てることは、同じ論理構造を持っている。ちがいは、科学的知識の多くは共有されているが、経営に関して蓄積された知恵は業界や企業固有のものだという点だけだ。要するに良い戦略とは、こうすればうまくいくはずだ、という仮説にほかならない。理論的裏づけはないが、知識と知恵に裏づけられた判断に基づいている。そして、みなさんのビジネスについて、みなさん以上に知識と知恵を持ち合わせている人は誰もいないと勇気づけられるのはいいのだけれど、
大きな組織では、放っておいて一貫した行動がとられるわけではない。どこかで指揮をとり、方向づけをすることが必要である。行動のコーディネーションは、戦略がない限り実現しないという意味において、組織にとって自然発生的なものではないので、「戦略は結局のところ、コーディネートされた行動があるシステムに強制されるという形で具現化する」必要があり、その結果として、
良い戦略とは最も効果の上がるところに持てる力を集中投下することに尽きるということが具現化されなければならないのだが、果たして、そういうところまでたどり着くことができるのかどうか。これを考えていけば、一定規模以下のビジネスにリソースを投入するのではなく、もっと大きな規模のビジネスに集中するべきなのだろう。つまり、今、取り組んでいる小さなイノベーションについても、「抵抗勢力」になりうるということなのだ。
訪欧時にを訪れた企業では、今から2年前に訪れたときと、今年の2月に訪れたときでは、内部の印象が大きく異なっていた。いくつかのビジネスが形を成し、勢いよく前に進もうとしている様子がとてもよく分かった。人を大きく入れ替え、できる人にビジネスを任せ、向いていない人には、別の道に進ませるという荒療治もやっていた。
その企業のCEOは、大阪弁に近い英語で、
「俺たちも2年ほど前は、お前たちが考えているように、やろうとすることを羅列している状態だった。でも今は違う。Focusすることだ。それはとても困難を伴う。それでもやらなければモノにならない」と啖呵を切っていたが、まさに、彼には、「困難な選択を貫き通す強固な意志や政治力」があったのだろう。
そういう事例を肌で感じ、を持ち帰っているのは、私なのだから、次こそは、「壮大な言葉遣いが高揚感を演出し、中身のなさを隠」すような経営計画にするのではなく、いや、たとえ公表版がそういうものになったとしても、実際は、自分たちが進むべき道を示さなければならない。中間管理職の分際でありながら、どこまでやれるのか、力量も試される気がするが、とにかく、その心意気だけは忘れることなくやっていこう。
『良い戦略、悪い戦略』については過去に読んでいるのだが、suadd blogの「ほとんど理解されていない「良い戦略、悪い戦略」」というエントリーを読んで、改めてそんなことを感じさせられた。