起業家の起業動機の形成時期

なんだか今週は、「戦略不全の論理」ウィーク~♪ といった様相を呈してきている...(^^;

さてこの本、「戦略不全の論理」(三品和広著)の中では、起業家は「創業経営者」という言葉で述べられている。この「創業経営者」の起業の動機が形成された時期は「起業以前であることは明白」とし、以下のように説明している。
普通の操業経営者に成長期のことを尋ねて返ってくる答えとは何かが本質的に違うことは確かである。早ければ小学生、遅くとも今の就職の時期までに、その後の人生で成し遂げる偉業の源流を見出すことができるのである。普通なら、友人との交わりに明け暮れ、社会性を身につける時期にである。
これは、創業経営者になる人は、小学生から大学卒業ぐらいまでの間に、普通の人が社会性を身につける時期に、なにか別のものに没頭する環境に置かれていることが多いということを意味しているようである。それは、苦労であるかもしれないし、逆境であるかもしれない。あるいは、趣味が高じて全ての情熱をかける対象があったのかもしれない。

ここで述べられている創業経営者による業績が、「偉業」と表現されていることから、その事業とは、家業の延長のようなビジネスではなく、一大事業のことであるが想定されているようである。しかし、それでもちょっと、周りを見渡せば、家業の延長のような段階にある起業家でさえ、個性の強い人、クセのある人が多いような気がする。何かしら特徴的なになるところがあるし、生い立ちも独特で、ターニングポイントのようなものを経験していることも多い。

何かに秀でているということは、それ以外のものを犠牲にした、あるいはせざるを得なかったのかもしれない、ということなのかもしれない。現代の小学生から大学生までは、モノと情報が溢れた世界に生きていて、刺激も多く、一見幸せに見える生活を送っていることが多いと私は想像する。しかし、最終的に起業の道を進むことになるのは、そんな生活に飽き足らなくなっている、あるいは、逆境を改善しようといったいわゆる心意気の育つ境遇にいる若者達なのかもしれない。

仕事をし始めたら、それによって、人はなにかしら成長していくものであり、会社に所属すれば、会社という組織に使われることになる。そんな状態から起業をしようとしても、それ以前に、強い起業動機が形成されていなければ、「時、すでに遅し」という状況になることが多いのかもしれない。当の子供たちにとっては、どちらがいいのだろうか。それは、もはや親が決めることができるものではないのかもしれない。

いずれにせよ、なるべくして起業家は起業家になる、ということなのかもしれない。
by yoshinoriueda | 2005-11-10 12:05 | VC・VB・イノベーション・mgt | Trackback | Comments(0)

清涼剤はSilicon Valleyの抜けるような青い空。そして・・・


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