もはや知りえたことにそれほどの価値はないのかも...
2008年 03月 03日
21世紀型ではある技能の担い手はごく少数。極論すれば一人でも構わない。その人が方程式を解けば、みんなが解けたのと同じことになる。という部分、特に太字にした部分を読んで「なるほど!」と感じた。
ここで、なぜ21世紀型が社会の形になるまで、21世紀になるまでかかったかを考えてみよう。答えは簡単。その人が方程式を解いたということを、皆に報せるコストが20世紀には高すぎたのだ。
ネットは無料のサービスに溢れていて、プロバイダに支払うようなコスト以外はほとんど無料で事足りることが多い。また、多数の人に「お知らせ」のようなものを送るコストも、郵便ではなく、電子メールやRSSでお知らせすれば、ほとんど無料。
ここまでくると、もはや知りえたことや感じたこと、そしてそれらを知らせることに、それほどの価値はないのかもしれない。価値があるのは、それらの事実をどう認識するか、その認識に基づいて何をするか、そして、その結果として何を得るか、ということ。
多くの人が迷うのは、まず、「どう認識するか」というところだろう。勝間和代さんの「効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法」などが売れているのも、多くの情報をどう整理し、どう認識するかという視点が盛り込まれているからだと感じる。多くの人が答えを求めていることについて書かれているからこそ、ヒットしているのだろう。
「何をするか」は、その人の生き方の優先順位の問題。「何を得るか」は時の運。得るものはともかく、物事をどう見るかということが定まれば、後は、「何をするか」を決めて先に進むということが大切になる。
「何をするか」ということについては、「できること」よりも、「したいこと」をすべきなのだろう。なぜなら人生は短いのだから。今一度 梅田望夫さんの「ウェブ時代 5つの定理」に出てくる言葉
Don't waste your time living someone else's life.を胸に刻み、一歩ずつでも前に進もうと思う。
(他人の人生を生きることに自分の時間を無駄にするな)
Have the courage to follow your heart and intuition.
(自分の心と直感に従うという勇気を持て)