気温が上昇したからCO2が増加したという因果関係?!
2009年 07月 15日
コラムの中では、「地球温暖化問題は、科学的見地を離れ、国際政治や経済の問題になり果てた」という意見が紹介されており、プロパガンダになりつつあるとのこと。「プロパガンダと科学の戦いになると、科学は勝てない」のだとか。
確かに、地球温暖化問題は、自然科学というよりも、ポリティカルサイエンスになっている。日本の交渉官も、AWGの会合で「自然科学は尊重するべきだが、ポリティカルサイエンスであるべきではない」といった発言をしていたが、本当にそう思う。
最近、地球温暖化問題は「宗教」に近いのではないかと思うようになってきた。二酸化炭素を危険物質と捉え、排出すること自体が悪であるかのように言う環境派や米国EPA、日本の民主党、環境省。それに対して、二酸化炭素は、活動から出る副産物であって、それをどう「リデュース、リユース、リサイクル」するかという視点に立つ経済産業省、産業界、日本の自民党。まさに、神を信じるか、仏を信じるか、といった問題と良く似ている。環境派の人たちが「私達は、(削減)できると信じています」という言葉を使うように、まさに、信じるかどうかが問題であって、できるかどうかは問題ではないのだろう。
日本はこれから62兆円をかけて、地球全体の0.7%を削減する道へと突き進む。民主党が政権をとれば、削減率は0.1~0.2%程度上がるかもしれないが、お金はさらに膨らむだろう。そんなにお金をかけるなら、もっと、貧困や飢えといった問題を解決できるかもしれないし、待機児童の問題解決や教育のレベルアップなどにも使えるのかもしれない。しかし、そうではなく、日本という国の内側に閉じていく。それが日本のためなのだろうか?人類のためなのだろうか?
何をすべきか、という視点だけでなく、何ができるのか、どこまでできるのか、どうやってできるのかといった地に足の着いた議論と行動のほうが大切だと思うのだが...