2004年 09月 26日 ( 2 )

 

経済というマクロをみる視点と法というミクロをつくる視点

シリコンバレーのプレイヤーの一つとなる起業家は、十分なインセンティブを与えられ、デジタル化という波に乗りながら、スペシャリティーを最大限に発揮することを求められている。それは、経済学的な視点からみれば、個々の活動が「モジュール化」されていて、そこから、自己組織化などが起こってくるということを示唆しているようであるが、一方、彼らを縛るルールは、legalな点である。どうやって会社をつくるか、どうやって権利を確保するか、どうやって税金を納めるか、そういったことは、全てlegalなところに関係してくる。

以前、こんな発言を聞いたことがあったのだが、まさにそのとおりだと思った。
Think "Legal? Or illegal?" Doesn't matter "Moral? Or Immoral?"

経済という視点からみれば、さまざまな経済活動は、結局はマクロ的でしかない。しかし、法という視点からみれば、さまざまな経済活動のルールがそれで決められ、ミクロの活動をつくっている。どちらが先であるか。これはニワトリが先かタマゴが先かという問題と同じだが、例えば、LLC(Limited Liability Company)の制度など、シリコンバレーでは、これらのどちらもがうまく組み入れられ、機能しているんだと感じる。

<参考資料>

「モジュール化」(青木昌彦、安藤晴彦)東洋経済新報社

「人的資産を活用する新しい組織形態に関する提案-日本版LLC制度の創設に向けて-」(平成15年11月経済産業省産業組織課)

  by yoshinoriueda | 2004-09-26 14:47 | シリコンバレーで感じる! | Trackback | Comments(0)

他人と違うことが大切。でも子供に対する躾は厳しい。「自由」の意味とは?

他人と違うことが大切である。日本では、なかなか教えてもらえない。他人と同じようにしなければ、仲間はずれにされたり、ヘンな奴だと見られたりしてしまう。でも、人間、ひとりひとり、違うはずだ。もちろん、足し算や引き算、文字の読み書きができなければ、多くの人とコミュニケーションをとるときに支障をきたすから、基礎は同じで必須だ。だけど、それをどう考えるか、それに対してどう思うかは、人それぞれである。

パロアルトの公立小学校では、そんなことをフツウに教えている。基礎はともかく、人の真似をすることは、最低とみなされがち。逆に、同じではいけないんだということを教えられる。あなたはどう思うのか?ということが大切。

このような教育とは別に、子供に対するしつけは厳しい。レストランで子供が騒いでいると、親は、外に連れ出して叱る。スーパーで、子供がダダをこねていても、ビシっと叱る。だから、子供がはしゃぐのは、公園など限られたところだけ。日本ではどうだろう。ビシっとしかる親はどれだけいるだろう。高校生でも、親は怖い存在となっていることがある。特に教育熱心な親ならなおさらである。子供が守らなければならない規律は、ここパロアルトでは、日本以上に厳しい。日本の子供をみると、奔放ではあるが、躾がなされていないということに気づく。

私が通った中学・高校は、比較的自由な校風で、高校の校則もゲタを履いてはいけないといったことぐらいでそれ以外は結構自由だったし、学校行事も、自分たちで作り上げていくことがフツウだった。中間や期末試験では、試験監督の教官は、教室を離れてしまうこともあったりするので有名だった。しかし、そこで、「自由」の意味をいろいろ考えさせられたような気がする。もちろん、周りの友達が教えてくれたこともある。責任が伴うということも身に沁みた。誰に対する責任であるかというと、自分自身に対する責任であるということが多かった。

自由というのは、全くなんの制約もなく、何をしてもいいということではない。自由というのは、自分がなすべきことを選ぶことができるということであり、それを通じて、自分が生きる社会に対する責任を果たすということなんだと思う。それが唯一の答えではないかもしれないが、そのような価値観を伝えて行きたいと思う。

  by yoshinoriueda | 2004-09-26 14:23 | 対話の中から発見する! | Trackback | Comments(0)

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