2008年 01月 08日 ( 1 )

 

「エネルギー技術の難しさ」を読んで

2008/1/8付けの電気新聞のウェーブ-時評では、山地憲治教授による「エネルギー技術の難しさ」というコラムだった。
 エネルギーは社会の基盤であり「無くては困るもの」である。私はエネルギー技術の変化の速度が情報通信技術と比べて遅い理由の一つは、エネルギー供給は社会に必須のものであるために実績の乏しい新技術に頼ることが出来ないからだと考えている。これに対し、携帯電話など情報通信分野では新技術が急速に展開しているが、これらは「在ったら良いな」という技術だから様々なチャレンジが現実に商品として実を結ぶ。
エネルギー技術の結晶のような原子力発電所では、1995年当時、数世代昔のCPUを使用していた。原子力発電所の制御においては、当然のことながら、CPUの処理能力を超えて暴走することなど許されない。当時、原子力発電所の運転員として三交替勤務をしていたのだが、実績の乏しい新技術は重要な部分にはなかなか使用できないという現実を目の当たりにして、しばし呆然としたことを今でも鮮明に覚えている。
 別の言葉で表現すれば、エネルギー技術の進歩は常にプロセスイノベーションであるのに対し、情報通信技術の進歩の原動力はプロダクトイノベーションがあるからということになる。つまり、情報通信技術はわれわれに新しい製品とサービスを提供してくれるのに対し、エネルギー技術はどんな新技術であってもそれは現在の技術が供給しているエネルギーをより安くあるいはより環境保全的に生産するものであるに過ぎない。
確かに、エネルギーというものは「連続性」が重視される。例えばコンピュータは一瞬の停電でも誤操作を引き起こすし、データが消えてしまったりすることもある。そのため、パソコンには「連続的」に電気が供給されていなければならないのである。一瞬たりとも途切れさせないためには、まさに「石橋を叩いて渡る」精神というか、徹底的に極端なケースまで想定するといった思考パターンが要求される。

以前、電力会社の企画系の仕事をしている人と話をしていたとき、その人は「自分自身、マゾぢゃないか?と思うこともあるくらい いろんなケースが起った場合を想像して心配してしまうんです...」と言っていた。とはいえ、それだけ心配性な人たちが設備を設計して計画しているにもかかわらず、自然の力による影響を避けることはできず、大地震や台風などで甚大な被害に見舞われる。また、もちろん、そんな人たちばかりではないことも事実ではあるが...

エネルギー、特に電気は社会の基盤だから、そういった社会の基盤を担う仕事をしたいという志を持って仕事を選んだ。その選択に悔いはない。ただ、「在ったら良いな」という技術を試す機会が少ないのは少し残念なような気がする今日この頃である。
 

  by yoshinoriueda | 2008-01-08 23:58 | 思うに・・・ | Trackback | Comments(0)

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