2008年 01月 25日 ( 1 )

 

確かにロックフェラーはいないよなぁ...

2008年1月25日付の日経産業新聞のコラム「眼光紙背」に「ロックフェラーがいない日本」と題して次のような話が掲載されていた。
 松下電器産業が社名をパナソニックに変える。その陰で創業家である松下家の資産管理会社だった松下興産が昨年、ひっそり清算された。ソニーの創業家、盛田家の資産管理会社レイケイも昨年、解散している。三洋電機の井植家、ダイエーの中内家、西部グループの堤家。戦後、日本の産業史を彩った数々の創業家がこの数年で表舞台から姿を消した。
 企業の始まりには必ず創業者がいる。多くの場合、創業者は会社を所有し、かつ経営する。だが株式を上場し持ち株比率が下がると所有権は徐々に外部の株主に移り、経営も株主が選ぶ専門的経営者に委ねられていく。創業家の退場は歴史の必然であり、欧米の大企業も同じ道を歩んできた。
 違うのは「その後」である。欧米の場合、株式上場で莫大なキャピタルゲインを得た創業家は「資本家」に純化し、経営ではなく「投資」や「寄付」という形で社会に関与する。このお金が新しい企業を育て、社会を潤すことで、資本が循環していくのだ。ロックフェラー家やロスチャイルド家がその典型であり、ビル・ゲイツ氏もその方向に踏み出した。
 日本にはロックフェラーがいない。創業家の脇の甘さも一因だが、彼らを無謀な不動産投資などに引きずり込み、資本の循環を断ち切った金融機関の罪は重い。創業家が尊敬されない国でいくら企業を促しても、若者たちはリスクを撮らない。(蹴球)
コラム自体には、「経営も株主が選ぶ専門的経営者に委ねられていく」とか「欧米の場合、・・・」といった記述には違和感を感じざるを得ないが、「確かに日本には、創業者として莫大なキャピタルゲインを得た後、「資本家」的な役割を果たす人は少ない。そんなロールモデルも少ない。成功者は、尊敬されるというより、妬まれるという雰囲気がある。・・・」などなど共感できる部分も多いのでとりあえずメモ。

  by yoshinoriueda | 2008-01-25 22:24 | 思うに・・・ | Trackback | Comments(0)

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